北海道遠征記 その6
5月16日はレンタカー利用最終日、中湧別から名寄本線廃線跡を訪ねました。 名寄本線は旧国鉄で全線廃止された唯一の本線の地位(?)を30年以上保ってきましたが、大部分廃止された日高本線と留萌本線が続く情勢で、いずれも北海道なのは皮肉です。
★名寄本線廃線跡-1:中湧別-興部
東横インがある宿泊地以外は落石民宿と中湧別旅館だけ、落石は早出おにぎりにしてもらったので、唯一の伝統的和朝食でした。 ホタテ稚貝の味噌汁が絶品でした。
最初は旧小向駅跡、駅名標と梃子類が記念碑的に残ってました。
線路跡は舗装されジョギングロードになってました。 次に名寄本線沿線最大の街、紋別に向かいました。
紋別駅跡を探してへ行ってみました、海沿いの街を見下ろす高台ですが、駅跡は温泉施設と博物館に利用され、痕跡は何も残ってません。 鉄道は廃止されても羽田から直行便が飛ぶ空港のある市ですから、駅跡が再開発されたのも当然と言えるでしょう。
続いて渚滑線分岐駅だった渚滑駅跡へ、旧駅舎らしい建物が残っており、周囲は芝生のグランドゴルフコースになってます。 平日なので高齢者数組がプレーしてました。
ここのお目当ては静態保存9600です、地元で活躍した機関車でなければガッカリする処でしたが期待を裏切りませんでした。
➊サボが残っており遠軽機関区所属、間違いありません。
➋説明板に1975年まで名寄本線で活躍と明記してあります。
➌浮き出たリベットと原状のままの後ろ姿が好ましいです。
➍駅舎奥の細長い建物は機関庫だった様です、2線6両収容可能サイズで、渚滑線分岐駅として駐泊所が置かれてたのでしょう。
正面のゼブラ塗装からすると最晩年は入換機運用で、遠軽、中湧別、紋別、渚滑のいずれかだったと推定されます。
北海道ならではのエピソードです。 紋別から興部間はオホーツク海沿いの直線道路が続きます。 4台車列の3番目で坦々と走ってると大型トラックが追越をかけ右車線を飛んでいきました。 1台でなく2台、3台、何と4台連続、4台目は筆者の前に一旦入りました。
その4台目も対向車が行き過ぎるとフル加速で右車線へ出て追い越していきました。 筆者車列速度が低かったなら解りますが80km/h走行中乗用車を大型トラック4台が追い越すなんて本州では有り得ません。
道の駅おこっぺは1991年/2011年に立ち寄ってますが、旧駅舎利用のバスターミナルを兼ねた小さな施設でした。 これもわずか13年で様変わり、近代的なスペース余裕のある建物と広大な駐車場、新製木造プラットホームにキハ22が2両停車してました。
ライダー宿泊施設として利用されてます。 自動車交通万能時代に登場した道の駅も第二世代に入ったと感じました。 興部でオホーツク海と別れ内陸に進みます。
★名寄本線廃線跡-2:興部-下川
興部から内陸へ進んでも●●興部という地名が延々と続きます。 下川は興部-名寄間唯一の町らしい町です。
道の駅西興部手前駐在所から右折した場所に上興部駅がありました。
➊駅舎前に9600動輪がモニュメントとして飾られてます。
➋鉄道資料館になってますが鍵が掛かり入場不能、案内板もなしです。
➌旧西興部駅は東ですが、道の駅西興部は西です。
➍6連梃子はポイント2基、信号機4基だと思います。
➊優等列車に使われたキハ27が保存されてますがボロボロです。
➋給油口キャップは心ないマニアが持ち去ったのでしょう。
➌わずかな期間ですがJR北海道の路線だった証拠です。
➍モーターカーサイズの除雪車も展示されてました。
鉄道資料館なら基本を押さえて欲しい物です。 車止標識替わりに踏切警報機とポイント矢羽根設置してるのには唖然としました。
上興部から小さな峠を越えた下川街道右手、旧名寄本線線路脇に小屋が残ってました、多分保線小屋だと思いますが、道のない森の中を100m近く進むのは危険と止めました。
保線小屋跡の先にトンネルが残ってるとストリートビューで確認してあったのですが、草木が生い茂ったのか、単に視力の問題なのか数往復しても発見できません。 諦めて数分走った右手に鉄橋遺構がありました。
道路から15mほどなので強硬突破しかありません。 茎が硬い植物をかき分けかき分けして築堤に到達、足元確認しながら平行移動です。
スパン4-5mのトラフガーダー橋が残ってました。 築堤肩部分には35年で樹木が茂ってます。 1991年もこの道を走りましたが、すでに幅員の広い片側1車線の舗装路でした。
旧下川駅跡も公共施設と広場で、キハ22の2連が保存されてました。 9600と共に名寄本線の代表形式で居るべき場所に居る感があります。
保存場所前地面にタイルモザイクでレールと枕木が描かれてました。 2日に渡り湧網線・名寄本線跡を訪ねましたが、鉄道記念館や保存車輛が高密度で存在し、惜しまれつつ廃線になった事が実感できました。 しかし既に35年経過、20年後はどうなのでしょう。
★名寄駅
一番最近名寄駅を訪れたのは10年前の6月でした。 高架化されたばかりの旭川駅からキハ47単行名寄行列車に乗車し、名寄で後続稚内行特急待ちの30分でした。 その時停車して印象に残った東6線駅を始め数駅が合理化で廃駅されたとこの旅の初日に知りました。
【2014年6月撮影】
その時駅前から見た町の印象は、3階以上の建物がほとんどなく静かで30年前1980年代へのタイムスリップ感がありました。 今回わずか10年なのに雰囲気が違いました。
タイムスリップ感が喪失し何処にでもある現代の地方都市になってました。 駅舎屋根色が落ち着いた緑から赤に変わり、駅前広場が現代的に整備されたからだと思います。 記念入場券で構内探索しました。
➊名寄駅もエレベーター未設置、バリアフリー化が遅れてます。
➋10年前記憶はありませんが2/3番線上屋がありません、昔は確かにありました、スルー線改造で2/3番線使用は交換列車だけなのでしょうか。
➌名寄高校は新設駅です、通学生が主要顧客ですからね。
➍かつて宗谷本線、名寄本線、深名線の鉄道基地として広大な貨物入換や機関区が拡がってたエリアです、『強者どもの夢のあと』です。
10年前特急『サロベツ』車中から眺めた名寄駅北側確認の為、ホーム先端へ行きました。 長い貨物ホームはそのまま、昔は旅客ホームが長く、そこに割り込み貨物線が2本あったハズです。 300m強の貨物引上線痕跡が駅端ポイントまで残っており、その奥に貨物集積地の栄華を示す10数棟の古い倉庫が建ち並んでたのもタイムスリップ感の要因でした。
その倉庫群のほとんどが消え失せ、貨物ホームに近い側は更地のコンテナ置き場、奥は別用途に使われてる様です、時代の変化速度はどんどん加速し古い物を抹消していきます。
★キマロキ静態保存
名寄公園にキマロキ除雪列車編成が静態保存されてると知り、ぜひ見たいと思ってました。 入場券退場時の駅員確認も資料も名寄公園でしたが、実際は名寄公園駐車場から徒歩10分ほどの旧名寄本線上でした。
静態保存車輛としてこれほど迫力ある物は珍しいと思います、2010年に準鉄道記念物指定を受けてます。 説明板によると、資料も駅員も間違いではなく、最初名寄公園内にに保存した後に移設したと解りました。
先頭は9600、後押しはD51、D51展示の為に旧名寄本線を乙線区規格に敷設し直してます。 左手4-5m低い場所を宗谷本線が走っており、車窓から良く見える場所です。
反対方向を見ると名寄本線跡が歴然と残ってます。
鉄道に興味がない人でも理解できる丁寧な説明板が設置されてます。 これを読んでてとんでもない思い違いをしてた事に気付きました。
それはロータリー除雪車の動力源です。 考えれば当然ですが蒸気機関で罐を積んでおり、3軸9600クラスのテンダーを牽いてるのです。 実物見た事ほとんどないし、写真は正面アングルが多く知りませんでした。
➊マックレー車床下には高さと幅が異なる雪掻きが2つあります。
➋マックレー車が搔き集め、ロータリー車が吹き飛ばす接合部です。
➌ロータリー車の罐、旧式小型蒸機からの流用かもしれません。
➍ロータリー車運転台からの前面展望です。
説明板によると10数人の職員で運転したそうです。 キマロキに別れを告げ、道央自動車道で旭川へ、駅前店でレンタカー返却、走行1,350km、燃料消費55L、相当注意した運転で事故がないのが何よりでした。
ではまた。
































