Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

港の貨物引込線

歴史を数百年遡っても大量の貨物輸送に最も適した方法が海運である事は変わりません。 海と陸の接点が港、海運から陸送は明治期から百年鉄道が担い、昭和末以降はトラック輸送が主流になりました。 港には貨物引込線があり、海運と陸送の橋渡しをしてました。

【過去記事より転載】
横浜や神戸の様な大きな港では臨海線と呼ばれる貨物専用線があり、貨物積み替え作業に8620等の入換機が従事し、街中を往来してました。

【過去記事より転載】
1961年神戸港写真には冷蔵貨車が写ってます、冷凍輸送されてきた食品を積み替えたのでしょう。 現在は冷蔵コンテナで航送され、そのまま大型トレーラーで運ばれる貨物です。

海に囲まれた国なので、鹿島灘や遠州灘等の直線海岸線を除けば数キロ毎に小さな港があります。 そのほとんどは漁港ですが、小型貨物船が立ち寄り貨物積み下ろしする港もあり、最寄り駅から港まで貨物引込線が伸びてました、シナリーガイドK氏のレポートです。

紀伊半島由良内は紀勢本線紀伊由良近くの港で、紀伊由良から2kmの引込線の終点に貨物駅がありました。 レイアウトコンペ入選作に取り入れた例はありましたが、実施例は見た記憶がありません。 450x1200程度のNモジュールレイアウトに格好の題材だと思います。

小さな入江の港で、写真右奥が漁港と市場、並んで貨物船用埠頭があり、荷揚げされた貨物を貨車に積み替える貨物駅があったのでしょう。

この写真に付された解説文によると、海側に荷揚場・貨物ホームと上屋、機廻線を含も3線反対側に駅本屋と陸送を請け負う日本通運の倉庫が並んでました。 乱雑に転がるドラム缶と石油タンク、寄港する貨物船の燃料補給もしてたのかもしれません。

小さな駅本屋と書かれてますがローカル駅の駅舎並みです、国鉄職員が常駐してたのでしょうか、毎日貨物業務があるとは限らないので、必要時だけ紀伊由良駅職員が出張してたと思います。 ポイント転轍と機関車誘導、貨物受け渡し業務もあり1人では無理です。

貨物船の船倉から大型クレーンで搬出する貨物が荷揚げされる事もあった様です。 数十本のドラム缶を載せたパレットは想像の範囲内ですが、チキに積み替える大物、建設機械や発電機もあったのかもしれません。

K氏訪問時に貨物船接岸中で荷役作業が行われてればよりリアリティが増したのでしょうが、そう上手くは行かず忘れ去られた様に静かな港の貨物駅の佇まいです。 岸壁に点々と並ぶ係留杭と潮の干満を表わす岸壁のラインが港の雰囲気を盛り上げてます。

埠頭から線路を挟んだ反対側は材木置き場になっており、多分3間(5.4m)に切り揃えられた丸太がゴロゴロ転がってます。 船で到着し貨車で製材所へ運ばれるのを待ってるのか、逆にここまで貨車で運ばれ船で遠地に出荷されるのか、どちらか解りません。 駅境界は朽ちかけて所々壊れた古枕木柵で仕切られてるのも、貨物引込線らしい風景です。

その材木置き場の海側、荷揚場・貨物ホームの奥は空地になっており、地元の人の釣スポットになってました。 出入りする貨車より釣り人の数が多い、何とものどかです。

対岸から望遠で撮ったのか、船上からか解りませんが、荷揚場と貨物上屋、荷揚場の向こうに線路を挟んだ駅本屋が写ってます。 K氏は最後に『古びた貨物船が停泊する横で8620の入換作業、近くには薄暗い土間の廻船問屋やマドロスが出入りする居酒屋を作って・・・、そんな事を考えるのは私だけであろうか』と結んでます。(TMS1966年10月号より)


ではまた。

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