Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

北海道遠征記 その5

中断した北海道遠征記続編です、完結させないとケリが付きませんし記憶は薄れます。14日に続き15日/16日も晴天の予報、しかもオホーツクはフェーン現象で夏日になる可能性も、下着とアンダー各1枚減らしました。

9:03網走着の石北本線列車を撮影しました、通勤通学には遅いのに3両の長編成でした。


★湧網線廃線跡-1:網走-常呂
この日は湧網線廃線跡巡りなので時間を気にする必要がほとんどありません。 撮影後網走湖両岸に石北本線と湧網線が分かれてた大曲公園と湧網線次駅二見ケ岡へ行きました。

➊大曲公園から常呂までの湧網線跡はサイクリングロードになっており、旧鉄橋の場所にガーダー橋が架かってます。
➋橋桁表記によると1994年10月完成なので、湧網線鉄橋流用ではありません、荷重が軽いので橋脚だけ流用した可能線があります。
➌二見ケ岡は網走湖と能取湖双方が見えると命名された地名で、アイヌ語地名がないほどの未開地だった様です。 駅遺構有りの情報に基づき探しましたが発見できませんでした。
➍更に時刻表に掲載されてなかった二見ケ岡中央乗降場跡も発見できず、ダラダラ坂を1時間近く歩き回りました。

湧網線は二見ケ岡を越えて下ると、ほぼ円形の能取湖4時半位置から10時半位置の常呂まで湖岸沿いを走ってました。 その6時位置の卯原内に網走市交通記念館があり、9600とオハ47が静態保存されてました。 

➊キャブ内は原状を留めてますが、操作部が金色塗装されロッド類の白色塗装と併せオーバーデコレート、死に装束の様で好きではありません。
➋旧駅名標を新しい枠に取り付けて立ってました。
➌交通記念館は駅舎跡地に作られた新しい建物です。
➍運悪く水曜日は定休日、中の見学はできませんでした。

駅舎は痕跡もありませんが、駅名標が立つホームは昔の物の様です。 サイクリングロードが線路跡なら交換施設があったのでしょう、右手に能取湖が拡がってます。 それにしてもこのオハ47の色は何なのでしょう、茶色の変色ではなく錆止め塗装色でしょうか。

卯原内から車で10分ほど能取湖を右に見ながら走るとサイクリングロード終点の常呂に着きます。 ここにもホームだけ残ってました、歩測すると約30mしかありませんでした。


★湧網線廃線跡-2:常呂-計呂地
湧網線は常呂から能取湖を離れ西へサロマ湖へ向かってました。 大昔サロマ湖眺めるのを楽しみにしてたのですが、内陸を走ってたのでほとんど見えませんでした。

オホーツク国道から左折し、湧網線ルート沿いの道を進むと、右手の小高い場所に定規で引いた様な横ラインが見えました、どうやら築堤跡です。 道路との間は広大な畑、誰か居れば断って入る処ですが人影が見えないので農道の終点まで歩いて行ってみました。

➊前写真の部分拡大、湧網線築堤に間違いありません。
➋反対側も同じ高さで続いてます、確認する為に登りましたがこれが大変、畑を踏み荒らさない様に不整地を歩き、水がある葦の溝を越え45度傾斜斜面を攀じ登って到達です。
➌35年の月日で誰が植えた訳でもないのに樹木が茂り、線路跡が草に覆われてました。
➍反対側も同じ傾斜の築堤です、長い直線区間だった様です。

駅跡が資料館になってる佐呂間町へ向かいました、現在の地図は廃線跡や旧駅が記載されておらず探すのが大変、地元の高齢の方に尋ねるしかありません。 本州の保存車輛は、狭い場所に肩身を狭くしてるか施設の片隅ですが、さすが北海道は広々としてます。

➊内部の様子からすると、駅舎建て替えではなく大幅リフォームで資料館にしてます。
➋4連信号切替梃子とポイント矢羽根がが保存されてます。
➌保存機関車はD51とDE10、丙線区湧網線に何故D51???です。
➍駅務室が資料館になってますが事前申し込みで予約しないと見る事できませんでした。

その保存D51は前掲説明板によると、1940年製造、大館、秋田、盛岡、小樽築港、室蘭鷲別機関区を転々とし最後は追分機関区、1976年3月に廃車されてます。 晩年は室蘭本線運炭列車で蒸機時代最後まで活躍した個体で、湧網線走行実績はなかったと思われます。

キャブ内はとても綺麗で、余計な手を加えてないのが好印象でした。 地元を走ってない車輛の保存展示は、湧網線廃止時に探しても、タマがなかったからだと思います。

数多く見て来た静態保存蒸機の中で最上位クラスの経年劣化の少なさで、動態復帰の話が出たら、その候補になる印象を持ちました。

もう1両はDE10、無煙化から廃線まで10年余ありましたので、湧網線で活躍した形式ですが、説明板によると1974製造、1987年廃車の一生を旭川機関区で過ごしており、ご当地DLだったかは疑問です。 湧網線で活躍したなら網走機関区所属が自然だからです。

D51次位にスユニ50が連結されてます、所属表記は旭川です。

スユニの後はヨ8000、所属表記は札幌、指定列車用緩急車表記があり、これも湧網線を走ってたとは思えません。 湧網線廃線の際に我町に鉄道が走ってた記念碑をの話が持ち上がり、発足直後のJR北海道から払い下げ可能車輛提供を受けた様で少々興醒めでした。

佐呂間町から北西に進んでオホーツク国道に戻った計呂地にも保存蒸機があるので見に行きました、C58です。 高松のC58は程度が悪かったですが、ここは良好でした。

➊交通公園になっておりライダー宿泊施設があります。
➋『けろち』も両側の『ばろう』『とこたん』も北海道ならではの変わった駅名です。
➌改修された駅舎が宿泊施設になってる様です。
➍駅端踏切まで線路が残っており、周囲は広い緑地になってます。

このC58保存機は2両の客車を連結してます。 道内で活躍した機関車である事は間違いないと思いますが、湧網線を走ったか否かは説明板がなく定かでありません。 写真ではランボード塗装が白に見えますが実際はシルバーで、太陽を反射して光ってました。

➊ロッド色差しは赤が定番ですがライトブルーもお洒落です。
➋連結客車1両目はオハ45、旧客北海道仕様形式は良く解りません。
➌オハ45の室内を覗けました、モケット張り背板で枕なし、外観の広窓からすると、オハ35系の北海道仕様の様に見えます。
➍2両目はオハ62、形式名から安作りオハ61系の北海道仕様の様です。


★遠軽駅
計呂地から湧網線沿線を離れて南西へ遠軽へ向かいました。 遠軽駅は出雲坂根なと山越えスイッチバック駅を除き、外房線(房総東線)大網、中央本線塩尻と並び、同一路線列車の進行方向逆転必要駅でした。 他の2駅は改修されましたが、遠軽は唯一非改修です。

西南西旭川方面から遠軽に到着した石北本線列車は進行方向を逆転し、南南東北見/方面へ向かいます。 遠軽は名寄本線終点で直進方向が廃線された中湧別方面でした。 直線改修すると駅が街外れに移動して不便になり、財政的にもそのまま放置されたのでしょう。

前図★マーク、駅南側Y字型線路で分断された3地点を結ぶ歩道橋があり、ここが格好の撮影ポイントになります。

遠軽駅は2面4線駅で、1番線に旭川方面、4番線に北見方面の始発普通列車が停車中です。 両渡線と片渡線で双方向本線が結ばれてます。

北見方面行列車発車時刻になり、4番線から両渡線を渡って北見方面本線に列車が出てきました。 現在のJR北海道普通列車は、どこへ行ってもこの形式の気動車です。

北見方面へのカーブを去って行きました。 遅い昼食で時間を潰し、到着列車を撮影しようと粘ってみました。

➊北見方面のカーブに普通列車が現れました。
➋両渡線直進したので1番線到着と思ったら片渡線へ。
➌そのまま3番線に進入しました。
➍3番線到着後15分経っても対向列車も発車もなく遠軽終着列車でした。 遠軽-網走間に比べ遠軽以西は普通列車運転密度が低い様です。


撮影後遠軽から中湧別に向かい20分で着きました。


★中湧別
中湧別は学生時代の名寄本線から湧網線乗換えが初、1991年家族ドライブ旅行で廃線直後に寄ったのが2回目、2011年ドライブ旅行は通過したので今回が3回目33年振りです。 この日は中湧別に宿を取りゆっくり見るつもりでしたが、33年の長さを痛感しました。

かつての駅前広場と駅構内敷地は温泉施設とその駐車場に変わっており、記憶に残る物全てが消失してました。 ホームと跨線橋は残ってますが、駅は駅舎がないと様にならない、顔がない人だと思いました。

保存車輛目玉はラッセル、残りは全て緩急車なのも寂しい展示です。

唯一懐かしさを感じさせてくれたのは、跨線橋から低いホームと木組みの上屋、そして行先表示板でした。


ではまた。

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