鉄の履歴書-17 東北研究旅行 中編
翌朝、大曲7時過ぎの蒸機牽引通勤通学列車で秋田へ向かいました。 7-8両編成後部に乗車して水田脇に停車し、信号所かと思ったらホームが短い駅でした。 手動ドアステップから犬走りまで1m20-30cm、乗降困難ですが注意の車内放送はありませんでした。
【貨物ホーム裏】
秋田は竿灯祭り期間中でしたが、朝8時過ぎに見る物はなく、1時間程の滞在でした。 地理部らしく、進行中の米増産国家プロジェクト八郎潟干拓地を見学しました。 大潟村設立から2年、本格入植を翌年に控えており、理想の農村建設に見えました。 その後、大潟村は昭和45年に開始された減反政策により、長い苦難の道を歩くことになります。
北上して弘前へ向かいました、矢立峠越えでD51の後補機が付いたと記憶しています。 大館で花輪線8620を見たかったのですが我儘もできずに素通り、弘前城を見学し青森に夕刻到着しました。 ねぶた祭り見物してから、青函連絡船に接続する深夜発上野行夜行列車で車中泊、東北本線全線電化2年前のことで、牽引機はC61でした。
ではまた、続きます。