1964年 新線建設
前回1964年春、新幹線開業を控えた各地の様子を紹介しましたが、当時の日本は開発ラッシュで、土建国家の様相を呈してました。 鐡道新線建設も大都市圏で盛んでした。
★根岸線
最初は首都圏の根岸線です。
【桜木町全景】
京浜東北線を桜木町から南へ延伸する路線ですが、建設する横浜南部丘陵地帯まで『京浜』に含めるのは抵抗があったのでしょう。 『根岸線』と命名され、起点は横浜になり、桜木町は根岸線の中間駅になりました。 運転は京浜東北線と一体の運用です。
【桜木町付近】
ベイエリア建物密集地の新線建設は、用地確保に苦労したと思います。
【関内駅付近】
関内は当時から市街地で根岸線に新設された最初の駅です。
都市内に建設する鉄道の制約を良く表した画像です。 河川や運河を利用して橋脚を建てて敷設されており、東京モノレールに通じます。
【石川町駅付近】
関内隣駅石川町は住宅街の外れ、高いビルが減り緑地が増えます。
【山手駅付近】
次の山手まで来ると郊外の雰囲気になります。 緑が増えて建物密度が下がり、田畑も点在してた様です。
山手の次が線名の由来になった根岸です。 右手に日本石油の大きな工場があり、専用貨物線が引かれてます。 住宅はめっきり減ってます。
根岸の次が古くから町のあった磯子で、車両基地が設置されてます。 1964年開業の根岸線1期工事は磯子までで、東京都心で磯子行京浜東北線を良く見かけました。 磯子-大船間は1973年開業、『新杉田』を除き『洋光台』『港南台』『本郷台』という、元は野山だったと思われる新開地の駅名が並びます。
★営団地下鉄日比谷線
営団がいつ東京メトロになったか知りませんが、株式上場のニュースが最近流れました。
営団地下鉄は長く銀座線と丸の内線だけでしたが、3番目に開業したのが日比谷線でした。 1961年南千住-仲御徒町駅間で開業し、翌1962年には北千住-人形町間開業で東武鉄道と相互乗り入れを開始し、1964年に霞ケ関-恵比寿間が開業し、都心から南に向かいました。
霞ヶ関-恵比寿開業が1964年3月、7月に恵比寿-中目黒間開業で東急東横線と相互乗り入れ開始、8月に霞ケ関-東銀座間開業で全線開通、東京オリンピック開催に間に合わせる当初目標を達成してます。
自宅が祐天寺にあったので、ステンレス車体3000系の北千住行電車が新鮮でした。 中目黒駅には3本の電留線があり、竹ノ塚、北越谷行の東武車輛が見られる様になりました。
★大阪地下鉄
首都圏では新幹線も営団地下鉄日比谷線も東京オリンピック開催までに完成を目指してましたが、京阪神圏では違いました。 1970年開催が決まってた大阪万博を目標に交通網の整備が進んでました。
大阪では、万博開催までに市電を廃止して地下鉄に置き替え、時間短縮と渋滞緩和すべく、同時進行で地下鉄建設が進んでました。
この時代以降1970年代までの地下鉄は道路を掘り下げる工法で建設されてました。 首都圏大江戸線や副都心線の様に深い地下を掘り進んで建設する工法は後の時代です。 工事中の通行確保の為に、下が空洞の現場に柱を建てた滑り易い鉄板道路が良く見られました。
土地勘がないので大阪地下鉄を調査すると、1号線は1933年、3号線は1942年、4号線は1961年に開業してます。 ここで行われてたのは延伸区間建設工事の様です。
やはり3号線延伸工事でした、新駅が建設されてます。 註にある西難波停留場は、大阪市交通局が地上の電停名を使った仮称なのでしょう。
4号線も延伸区間建設です。 高架の4号線は木津川を渡り、再び地下に潜ると解説されてます。 大阪は地盤が軟弱で、大阪駅構内に地盤沈下の痕跡が多くあると『ブラ・タモリ』で放映されてました。 戦国時代には干潟や芦原だった地域、難工事だったと思います。
戦前に開業した1号線も延伸工事中です、地下鉄と言うより臨海鉄道建設現場の様です。
★大阪環状線
1964年には大阪環状線が全通してます。
環状化前は逆C字型区間運転だったと思います。 居住経験がないので、環状線完成で大阪市民の生活がどれ程便利になったか実感できません。
開業祝賀は101系、確か101系が最後まで活躍してたのが大阪環状線だったと思います。 50年以上同一路線の顔だったのは、115系と並び丈夫で長持ち形式だったからでしょう。
ではまた。























