Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌 1962年新年特大号

前回『雪と国鉄』のネタ本は鉄道P誌1962年新年特大号でした。

【鉄道P誌1962年新年特大号表紙】
表紙はこの号発売直後に開業した伊豆急の新型車100系です、2002年、21年前に運用を終了した車両ですから『この電車何?』と思われた方も多いのではないでしょうか。


◆伊豆急と田園都市線
伊豆急は東急グループの企業で、その開通に至る経緯を田園都市線と対比すると、総帥五島慶太氏の戦略、金儲けの方程式が見えてきます。

【伊豆急と田園都市線開通までの経緯】
両路線の鉄道敷設免許申請は1956年に出てます、伊豆急が7ヶ月早いだけです。 伊豆半島には約30の温泉がありますが、交通の便が良いのは伊東と修善寺だけ、下田は伊東から岬巡りのバスで2時間以上掛かる、近くて遠い場所でした。 伊東から1時間弱で東京から直通で結び、自社でリゾート開発すれば大きな観光需要を見込めた訳です。

【伊豆急試運転電車】・・・1961.11.25 片瀬白田付近
一方南武線川崎街道、横浜線16号線、小田急線鶴川街道、東急東横線中原街道で囲まれた長方形エリアは開発から取り残されてました。 南北の246号線はあっても、都心アクセスの良い小田急/東横線に出る東西主要道がなかった事が近郊の田舎に留まった理由でした。

【建設中の田園都市線】・・・1965.05 筆者撮影過去記事より
鉄道敷設により大きく時間短縮し、観光地あるいは住宅地の価値を飛躍的に向上させる点で両路線は共通点があります。 東急は既存観光地であり即効性の高い伊豆急を優先して鉄道敷設してます、鉄道錬金術ですね。


伊豆急開業から62年経ちました。 1970-80年代に伊豆の道路網整備が急速に進み、伊豆は車で行く場所に変質しました、最近の伊豆急鉄道事業単体は赤字続きになってます。


◆伊豆急開業
伊豆急は着工からわずか1年10ヶ月で開業しました。 田園都市線2年半に対し、距離3倍近く、トンネルや橋梁の多い伊豆急を大手ゼネコンに工区区分した突貫工事の開業でした。 

【開業祝賀電車】・・・1961.12.10 伊東駅
この頃の鉄道P誌には新線開業ニュースが溢れてました、JR化後は路線廃止さよなら列車の画像が溢れる様になりました、一番列車の風景です。

【下田初入線試運転100系電車】・・・1961.11.16 下田駅
突貫工事の開業に先立ち試運転列車が始めて下田に乗入れた際は、街を挙げてのお祭り騒ぎだった様です。

試運転の試乗会があり、参加した方のレポートが掲載されてます。

試運転電車始発は伊東の隣駅南伊東で、ここから下田往復に乗車してます。 まだバラストが安定せず、揺れが大きいと書かれてます。

伊豆高原駅に車庫があり、開業当時は貨物輸送も行っており、小田急から借り入れた無蓋貨車がこの駅に停車してたそうです。

伊豆高原駅で上りの試運転電車と交換、現在は知りませんが開業当時は全線単線でした。

車庫があった事で、伊東-下田間で伊豆高原駅のみがホーム2本の3線駅になってました。

伊豆熱川でも上り試運転電車と交換してます。 開業に向け慣熟運転が盛んに行われてた事が解ります。

早咲き桜で有名な河津は谷合から川が相模湾に注いでおり、河津駅はトンネルとトンネルの間の高架駅です。

蓮台寺でも試運転電車と交換、伊豆急運転士は開業前に慣熟運転で何往復したのでしょう。

蓮台寺には変電施設があった様です。

開業を控えた伊豆急下田駅の前はまだ何もなく、土地整備のブルドーザーが走ってたと書かれてます。 その後の変貌は訪問歴がなく知りません。


◆巻頭グラビア
表紙見開き1ページ大写真なので最初に紹介すべきだったかもしれません。 撮影場所が解る方は相当年配か昔の風景に詳しい方です。

複々線区間をカナリア色の101系が走ってます。 101系カナリア色は総武緩行、千葉方面複々線化は後の時代だし、当時複々線だったのは中野-御茶ノ水間と考えたたら答えに行き着きません。 コレ恵比寿にあったビール工場、現在のガーデンプレイスです。


101系登場時は山手線と中央線のみ、103系で山手線が現在のイメージカラーに変更されてから、この車両は総武緩行へ、更に1970年代後半には南武線にも走ってました。


◆各地の話題から
忘れ去られた当時の話題を読むと新鮮な驚きがあったりします。

【ステンレス車体EF10】・・・1961.11.13 原宿駅
巻頭グラビアから2駅原宿の山手貨物線の撮影です。 EF30登場前は海水腐食防止特殊仕様EF10が関門海峡専用機として活躍してたと解ります。

【尻押し部隊】・・・1961.12.01新宿駅
1961年に通勤客が22万人増加し通勤ラッシュ時は大混雑、国鉄は203両の新型車を投入し、460人の尻押し部隊を動員して対応に大童でした。

【生きているDC準急『日光』】・・・1961.11.25 日立駅
1959年9月の日光線電化でキハ55系準急『日光』は157系に置き換えられましたが、日立-友部-小山-宇都宮-日光間の準急常磐『日光』号が休日と休前日に運転されてました。

【特急同時発車】・・・1961.10.01 秋田駅
奥羽本線初の特急『つばさ』は1961年10月、サン・ロク・トウのダイヤ改正で登場しました。 東京と秋田を結ぶと同時に、北海道と秋田・山形を結ぶダイヤが組まれました。 北海道唯一の特急『おおぞら』が深夜函館着で夜行青函連絡船接続、早朝青森着で上野行特急『はつかり』と大阪行特急『白鳥』に接続、秋田で『つばさ』に接続し、8:20発でした。


◆裏表紙
この号の裏表紙は新春特大号にふさわしい物です。

成田山初詣の京成の広告です。 筆者は確かこの翌年、上野発我孫子経由成田行のC58牽引列車で成田山初詣に友人と出掛けてます。


ではまた。

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