Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌1962年5月号➋C11

前回の続編C11特集です。

【鉄道P誌1962年5月号表紙】


◆C11
C11はC10の改良増備型として、C10の2年後昭和7年から昭和21年までに381両製造されました。 日本の鉄道史上最大両数のタンクロコです。

C11はC10を正常進化させただけでなく、C10の大都市近郊快速区間列車用から開発目標を少し変化させてます。 C10は牽引力と高速性能(当時の基準で)に重点を置いた結果、軸重が重くなり使用線区が限られる欠点解消が大きなポイントでした。 その背景には大都市圏の電化構想があり、地方線区転出の汎用性を重視する必要があったからです。

【蒸気機関車スタイルブック1962年版より】
整備重量はC10の69.7tから66.05tに軽量化し、軸重を1.2t低くしてます。 また軸離(動輪間隔)を4,200mmから4,100mmに短くし、従台車復元力を72%に下げる事で曲線通過性能を向上してます。 当然牽引力が落ちてるハズですが、汎用性確保優先だった様です。


C10の2年遅れの製造ですが、車体構造に溶接を多用し外観がスマートになってます、また国鉄蒸機デフ装着設計最初の形式C54のすぐ後の製造なので、C11もデフ付きで設計されてます。 後年形式や後付けより背の低い初期型デフはC54とC11共通の特徴です。

製造初期は重見式給水温め器付きですが、C10の項で説明した様に後に取り外されてます。 昭和29年広島機関区所属のC11も非装着で、[広一]表記から電機の[広二]があったと想定され、芸備線用だと思われます。

C11が日本の大動脈東海道本線列車本務機を務めてる写真です。 東海道本線全線電化は昭和33年、その6年前なので架線柱も立ってません。 場所は大垣西方、3両編成なので大垣発米原行区間列車だと思われます。

昭和31年、紀勢本線全通前東線の混合列車、紀伊長島駅の撮影です。 長距離路線でほとんどの駅が貨物扱いしてた時代の混合列車は入換作業の為に機関車次位が貨車の編成です。

このC11ファーストナンバー写真は昭和29年撮影です、1929年にC11は製造されてないからです。 C11は1932年に製造開始され昭和48-49年まで現役で活躍したので、前号で触れた鉄道P誌の杜撰な校正で、撮影年表記が35の場合、昭和35年か昭和10年か解りません。

例えば信楽線の列車を牽き鉄橋を渡るC11の撮影日は37-3-11となってます。 ダブルルーフリベット打ち客車から昭和37年でなく1937年、昭和12年と解ります、しかし・・・。

同じ信楽線の同じ「37」年のこの写真は鋼体化改造客車に見えますので昭和37年の様です。 逆推進運転のC11に客車2両、その後ろに有蓋貨車1両、貴生川-信楽間直通貨車併結の混合列車なのでしょう。

木次線のこの写真の撮影日33-4-9はどうでしょうか?。、昭和33年なのか1933年、昭和8年なのか後続客車が不鮮明なので判然としません。


C11はC10と異なり両数が多いだけでなく、軸重が軽く汎用性がある為、非電化私鉄で45両が活躍してました。 私鉄が機関車を独自開発するのは難しい時代で、実績があり補修部品共通化が図れる国鉄蒸気が重宝されてたからです、C11の例をいくつか紹介します。

【雄別鉄道 C11 8 昭和29年8/15】
釧路と雄別炭鉱45.5kmを結んでいた雄別鉄道(昭和45年廃止)のC11です。 接触限界票乙号が雪深い路線である事を現してます。

【三井奈井江 C11 2 昭和36年3/26】
昭和46年に閉山した奈井江炭鉱運炭路線で活躍してたC11です。 この号発売前年です。

三井奈井江のC11 1号機が運炭列車を牽いている画像も残ってます。

【日本炭鉱 C11 02 昭和30年3/29
九州筑豊炭田運炭鉄道のC11です。 ここまでいずれも石炭産業に係る私鉄です。 これらの路線で重量貨物は9600、軽量貨物と入換作業にC11が使われてたと解ります。

【同和鉱業片上鉄道 C11 101 昭和30年 5/18】
国鉄片上駅と硫化鉄鉱石棚原鉱山間31.8kmを結んでた片上鉄道のC11です。 同鉄道は1991年平成初期まで営業を続け旅客用に使用したキハ303(国鉄キハ41000型)を動態保存してる事でも知られてます。

片上鉄道C11-102の後ろの塔は何でしょうか? 硫化鉄鉱石ホッパーかもしれません。

【東武鉄道 C11 2 昭和30年4/12】
最後は首都圏東武鉄道のC11です、これは知りませんでした。 この写真撮影地は東武鉄道北千住駅構内です。

北千住で撮影されたC11 2稼働中です。 撮影地館林は亡母の実家降車駅、筆者最初の訪問記憶はこの写真撮影された前後(3歳8ヶ月)祖父が亡くなった時だったと思われます。


ではまた。

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