Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌1962年5月号➊C10

1月3日更新で紹介した昭和29年5月29日、国鉄茅野駅で撮影されたC12が牽く辰野発小淵沢行列車が掲載された鉄道P誌は1962年5月号です。 筆者が中学入学直後の発行で発売時に購入した訳ではありません。 後にバックナンバーで入手した物です、理由があります。

【鉄道P誌1962年5月号表紙】
蒸機全廃の既定路線を十数年後に控えた当時、鉄道P誌では間もなく姿を消す形式から順番に特集号を出してました、当然ながらトリを務めたのはD51、1966年12月号でした。


これまで拙ブログでD51、C58、9600、D50/D60特集号を紹介してきました。 全てその形式が表紙写真に使われ、更にXXX特集と明記してありました。 1962年5月号表紙は近鉄特急、どこにも蒸機特集の記載はありません。 でも蒸機特集号なのです。

【同号目次】
目次にこの号がC10/C11/C12特集号である事が記載されてます。 それが筆者がバックナンバーで入手した理由なのですが・・・。

【巻頭カラーグラフ】
当時の鉄道ファンにとって消えゆく国鉄タンクロコ3形式より、同年4月(5月号発売月)から製造された世界初のダブルデッガー電車、近鉄20100系の方がビッグニュースだったからです。 ちなみにこの車両が同年のブルーリボン賞を受賞してます。

【目次下写真開設】
表紙写真も巻頭グラフも近鉄提供です。 表紙写真は撮影日が1962年3月1日である事から多分隠密試験運転時、つまり話題の新型車のスクープ写真です。 鉄道P誌が表紙に使った理由が解ります。 でも表紙にC10/C11/C12特集の文字入れるスペースはありますね。


◆C10
鉄道P誌の蒸機特集は形式消滅に先行して組まれるのが通例でしたが、C10は現在大井川鉄道に動態保存されてる1両を除き1960-1962年に全車廃車されてます。 タイミングが遅れたのはC11/C12とセット特集だったからでしょう。 筆者は国鉄現役時代を知りません。

【蒸気機関車スタイルブック1962年版より】
C10は昭和5年に23両製造されてます。 リベット打ち、デフなし車体外観的特徴に加え、早期に全廃された事から、大正期の蒸機に思われがちですが、8620/C51より新しく、テンダー機で言えばC53とC54の間になる、国鉄近代タンクロコの基礎になった形式です。

【蒸気機関車スタイルブック1962年版より】
スタイルブックC10の項に面白い写真が掲載されてました、扇形庫のない10線以上の転車台です。 しかも駐機してる5両全てタンクロコ、このC10は車止めに接触してませんか?

タンクロコに8620/9600同時代製造形式はなく、明治末期の2120から一足飛びに近代化を果たしてます。 明治期の古いタンクロコ置換用の新造に見えますが、これも外れでC10開発目的は大都市近郊快速区間列車牽引用でした。 後世の国電の役割を担う列車牽引です。

その証拠に最初の配属先は東京、大阪、名古屋、奈良の都市圏と熊本になってます。 初期設計はボイラー横に重見式給水温め器付きでしたが運用成績が思わしくなかった為、後に取り外されてます。 C10は増備される事なく、改良増備型C11に後を譲りました。

2枚前のC10ファーストナンバー撮影日の29-3-25は昭和29年ですが、この写真の34-5-20は昭和34年ではなく1934年、昭和9年です。 この辺り校正が甘いと言うか、大雑把が許された時代背景を見る思いです。 製造4年後には重見式給水温め器が外されてます。

【C15???】
脱線しますが記事を読んでアレっと思う部分が他にも、下部にあるC15は明らかにC11の誤植で、この号最初に紹介したC12牽引列車撮影日5年違いも含め、現在なら『修正版を作り無償交換しろ!』と読者が要求するかもしれません。 話を元に戻します。

C10には隠れたNo.1があります。 当時の花形蒸機8620/9600/C51/D50の使用蒸気圧は13㎏/cm2でした。 C10は先行製造されたC53/C50と同じ14kg/cm2で製造されましたが設計強度余裕があり15kg/cm2にアップし、昭和12年にC51が16kg/cm2に仕様変更されるまで、5年以上使用蒸気圧王座に就いてました、意外ですね。(写真は昭和6年撮影)

1935年、昭和10年に米沢で入換機運用されるC10ラストナンバーです。 開発目的だった快速区間列車は電化により活躍の場が狭まり、地方の入換機にも使われる様になりました。

C10とC11のツーショットの珍しい写真です。 撮影場所は91年前の武蔵五日市です、現在新宿から特別快速で60分少々、非電化のこの時代の距離感覚は現在の諏訪エリアと同じだったのではないでしょうか?


ではまた。

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