Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

鉄の履歴書-5 ささやかな乗り鉄

青ガエルこと初代5000系デビューは4歳の時、急行運転も開始しましたが、最寄駅は通過なので乗る機会に恵まれませんでした。 昭和33年頃、相武台前へ引っ越した伯母の家へ行った際に初めて小田急に乗りました、ほぼ年1回訪問しました。 渋谷から井の頭線、下北沢ー相模大野間の急行乗車です。 当時は箱根湯本行4両+江の島行2両の急行が15分間隔で運転されていました、停車駅は向ヶ丘遊園、新町田、相模大野でした。 通過駅が多くスピード感があり、相模大野での分割・併結作業も興味深い物でした。


優等列車で行ける所まで行き緩急接続する、国鉄と競合する小田急・京王・京急などのダイヤに比べ、停車駅が多く少し早いだけの東急の急行をみすぼらしく感じていました。

【わらぼっちと貨物列車】

一人で電車に乗り始めたのは小学4年、昭和34年でした、毎月定額小遣いを貰えるようになったからです。 創刊されたばかりの少年SやM(30円)は回し読みを待ち、駄菓子屋通いを減らして乗りに行きました。 初乗り距離が長く運賃5円(子供)の時代です。 二子玉川の浅瀬や等々力渓谷で遊んだり、巨人軍グラウンドを見に行ったりしました。


特急と名の付く列車に乗りたくて、京王線に「乗り鉄」に行った事があります、祐天寺-渋谷-明大前-調布の大遠征です。 京王特急は4+2両編成で、貫通扉がある中間先頭車の速度計が見える場所に陣取りました。 桜上水で各停を追い抜くとスピードを上げ、田畑が一面に広がる仙川手前で、100km/hに到達したのを見た時は感動しました。


「乗り鉄」ではありませんが小学5・6年のほぼ毎日曜日、渋谷から小川町まで都電10系統で進学教室に通いました、現在の地下鉄の様に、縦横に都電の路線網がありました。 現在原宿警察署の場所にあった社会事業大学が模擬試験会場になった時は、渋谷からトロリーバスで行きました、バス・電車と異なる不思議な乗り物でした。 


《筆者余談》

小田急の急行が代々木上原、成城学園、登戸、新百合ヶ丘と停車駅を増やし、快速急行で昔日の面影を保っているのに対し、京王特急は今も昔も明大前、調布、府中ブレがありません。 2004-2010年、単身赴任で京王線沿線で暮らしました、半世紀を経て田園風景は街並みに変わっていましたが、改修される前の調布駅付近には昔の面影がありました。


ではまた。

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