Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

四国探訪記➌予土線に踏み入る

四国探訪記続編、旅は4日目に入ります。 運転本数の少ない予土線の乗り鉄と撮り鉄を一度の旅行に盛り込むのは至難の技で、急に旅を決めてから限られた時間の中でベストと思える行動計画を作成しました。


特に苦労したのが撮影ポイント、撮り鉄さんブログ等参考資料は数多くあれど、筆者は車両が主役に興味が薄く、自然が主役、鉄道車両は脇役の写真を撮りたくてストリートビューで有力候補を絞り込みました。 苦心惨憺の計画は、この後の探訪記で明らかになります。


★4日目:11月25日(金)晴れ
この日の旅程は松山8:10-(宇和海)-9:30宇和島9:33-10:41江川崎14:46-15:09松丸、江川崎に4時間滞在し宇和島方向へ松丸まで引き返します。

この日利用乗車券は坪尻⇒宇和島と宇和島⇒江川崎の2枚、予讃線と予土線分岐駅が北宇和島なので、北宇和島-宇和島間が重複し別けてます。

松山駅に8時前到着、松山駅は県庁所在地駅としては全国一地味かもしれません。 最低30年、いや50年前の駅と言っても通用しそうな佇まいです。 それはJR松山駅が市内交通中心地でなく、実際の中心地が松山市駅、伊予鉄と市電のターミナルだからです。

【岡山/高松発松山行電車特急】
松山にはほぼ同時刻に電化された松山行電車特急と、非電化松山-宇和島を結ぶDC特急が到着し相互接続で折り返します。 筆者は宇和島行特急『宇和海3号』乗車です、1号車1-7番が指定席の2両編成で、14年前乗車した土讃線特急車両がここで使われてました。 初期計画では内子再訪してこの日松丸泊りでしたが、寄り道せず予土線直行に変更しました。


宇和島着9:30、宇和島発9:33の予土線乗換えです。 乗換え案内ソフトでは接続してませんが、何とかなると思ってました。 宇和島は終端駅で跨線橋も地下通路もなく1番線と2/3番線ホームが先端でコの字型に繋がっており猛ダッシュ、予土線単行DCに乗り込みました。 『乗換えお急ぎ下さい』も『間もなく発車』の構内アナウンスもなしでした。

写真で見る予土線車両は17m級の新型でセミクロスシートと思われる窓配列でしたが、乗車したのは20m級ロングシートの後ろ乗り前降りの単行運転専用DCでした。 東宇和島から予土線、レール間の草が目立ち、昔軽便鉄道だった区間で40km/h程度の低速運転です。


そして何より驚かされたのが、『サワサワサワ』『カシカシカシ』という音、建築限界内に伸びた草や小枝が車体に接触する音です。 草木の成長が早い夏場ならまだしも、11月末にしてこの状態、草を掻き分け進む予土線という言葉がピッタリです。

地形図によると予土線分岐北宇和島駅と次の務田駅間の小さな峠が分水嶺で、ここから先は四万十川支流広見川の源流域になります、と言っても山奥深くではなく何の変哲もない里山風景で短いトンネル1ヶ所だけです。


区間列車折返し駅近永先で両側の山が迫ってきます。 のんびり車窓風景を楽しむ?、いえいえ、今日の宿泊地松丸-江川崎間22分に6ヶ所も車内から撮影ポイント確認があります。

筆者好みの画像撮影は跨線橋や橋の上が多くなり、車内から撮影予定ポイントがどう見えるか確認すれば、逆にどう写るか予想できます。 これは松丸駅発車直後の河後森跨線橋で、夕方上り列車撮影予定地です。

そして跨線橋通過後振り返りで跨線橋が見えるポイント、夕方下り列車撮影時の場所と画角を決める基礎情報です。 他の5ヶ所も車内から下調べしながら江川崎着10:41です。 宇和島発車時7人の乗客は多少出入りがあった物の、松丸発車時は4人に減ってました。

【宇和島発窪川行の乗車列車】
江川崎で下車したのは筆者だけ、ここから乗客3人では江川崎-窪川間の減便に納得です。 江川崎は時刻表マニアだった小学生から知ってました、地の果ての駅としてです。 四国の江川崎と窪川、北海道の様似と広尾は繋がりたくて繋がれないドン詰りの終着駅でした。

【1964年9月宇和島線下り時刻表】
旅行前に当時の宇和島-江川崎間時刻表を調べました、全線運転10本(現在8本)、区間列車含め16本/日で内3本が蒸気牽引列車です。 当時の宇和島機関区在籍機はC12 6両なのでC12牽引です。 貨客分離されてたのでしょうか、混合列車が走ってたかも知れません。


面白い事に気付きました、この当時宇和島から江川崎方面が下りでしたが、予土線開通後は宇和島から江川崎を経て窪川方面が上りになってます。 東京中心ご都合主義ですね。

【11月25日江川崎到着後行動計画】
さて話を旅に戻して江川崎4時間滞在の予定です。 江川崎滞在4時間で2列車撮影と昼食、そして構内撮影予定です。 1ヶ所は5km離れてるのでタクシー利用、事前調査で1社しかない様なのでまずその手配からです。

【江川崎駅】・・・この季節駅舎全体に陽が当るのは2時間だけ
★ハプニング その1
予定は未定にして決定にあらず、想定外の出来事が数多くありましたが最初が江川崎、駅前に客待ちタクシーの姿はなく、四万十町中心地江川崎にタクシーはないとの事、ネット掲載されてた会社名出すと『10年位前に辞めました』、そんな情報削除しといてよ!です。

まずは腹拵え、徒歩7-8分の喫茶・軽食店予定でしたがタクシーがこれではコロナで閉店・休業の可能性も高く、営業確実な道の駅まで14-15分、荷物をゴロゴロ引いて行き、青海苔パスタを頂戴しました。

タクシーを使えないので下り撮影をバックアップへ変更、四万十川本流合流直前の広見川に架かる鉄橋の内側です。 撮影ポイント探しはGoogleでしたが、ブログには出展明示で使える国土地理院地図を使います。

【大失敗の撮り鉄第1号】
今回の撮り鉄はほぼ初体験、ウでもないのに後追い禁止、全て撮影ポイントへ向かってくる列車撮影を自ら課しました、つまりHL点灯、尾灯点灯写真なしです。 最初の1枚でいきなり大失敗、逆光条件でしたが、確認したハズのモードボタンに触ってしまった様です。


下り列車失敗作撮影後、カーブガーダー橋は延伸線に使うので参考資料写真撮ってたら突然電源オフ、バッテリー切れです。 シマッタ!、昨日坪尻で摂りまくったのに松山ホテルでバッテリー充電忘れた。 上り列車まで30分、慌てて江川崎駅へ引き返しました。

待合室に空コンセント発見、20分充電させていただきました、JR四国に感謝感謝です。

上り列車撮影写真です、ストリートビューでここは絶対外せないと思った場所の一つです。 これが写真で良く見た17m級車両です。 撮影後また駅に戻り周辺撮影をしました。

駅前宇和島方の現在駐車場になってる場所は、国鉄時代の貨物ホーム跡だと思われ、機関車駐泊所も設置されてたと思います。

ホーム側から見ると貨物ホームの痕跡がハッキリ残ってます。

ホーム端から宇和島方の眺め、江川崎で四万十川に注ぐ支流広見川の谷筋に沿って走ってます。 山の中の終着駅だった半世紀前を想像しながら、乗車する下り列車を待ちました。

1日4本の窪川発乗車列車がやって来ました、14:46江川崎発です。

松丸手前の隣駅吉野生で上り列車と交換です。 上り先着で停車時間が短く撮影時間が取れません、Y字スプリングポイント島式ホームの典型的なローカル線無人駅です。

15:09松丸着、愛媛県高知県境の小さな松野町中心駅ですが交換施設はありません。 写真が線路と並行に走る旧381号線の松丸中央通り、現381号線はバイパスして道の駅がある、全国何処にもあるパターンです、なお江川崎にも松丸にもコンビニが1軒もありません。

中央通りにある松野町役場、十数年前までは同時進行『建設中の露太本線』で紹介した様な昭和40年代建設の町役場が建ってたと思います。

他に民宿が数軒ありますが松野町唯一の旅館で料亭を兼ねてる末廣旅館です、天然鰻が名物です。 松丸は穴場渓谷美滑床の入口として知ってましたが、当初計画の内子再訪日程で、同日中に予土線核心部へ少しでも近付きたいと考えて選択し予約しました。

内子再訪を中止した日程変更で、少しマシなホテルがある江川崎宿泊の選択肢もありましたが、偶然にこれ以上ないベストの宿泊先になました。 宿から150mのバイパス河後森跨線橋が絶好の撮影ポイントで、移動の足がない日の夕方から夜に撮影できるからです。

投宿1時間後に上下列車が通過します、逆光になりますが季節的に陽が山に沈んだ後で、徒歩3分が疲れた体に何よりです。 こちらが上り列車、16:26の撮影です。 今回乗車した3列車は黄色の20m級車ばかり、撮影したのは圧倒的に17m級車が多くなりました。

隣駅吉野生で列車交換した下り列車が10分後にやって来ました。 上り列車がどこまで見えるか、つまり下り列車がどこから顔出すか確認しての撮影です。 広見川沿い石垣築堤の上を予土線が走る長閑な風景です。

コンデジカメラですがシャッター速度優先撮影モードあったハズとメニュー調べても発見できず、マニュアル持って来るんだったは後の祭り、日が暮れてからの夜景撮影は、距離を取っても1秒ではこれが限界、まっ、写真は素人だから仕方ありませんね。


ではまた。

×

非ログインユーザーとして返信する