Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

四国探訪記➋坪尻スイッチバック

高松ステイで友人達との楽しい時間を過ごし、筆者の旅が始まりました。


★3日目:11月24日(木)晴れ時々曇り
この日は琴電初乗車、乗り鉄からです、横浜から来たSさん同行です。

JR高松駅から少し離れた高松築港から終点琴平まで約60分です。

1時間乗車ならまあこんな料金と思える運賃でした。

琴平行は30分毎ですが支線や区間列車が頻繁に到着・折返し通勤通学客を吐き出します。 7時40分頃で朝ラッシュのピークだったのでしょう。 車両はどこかで見た事ある様な17m級の片開き3ドア、2両ユニットまたは非貫通2ユニットの4両編成です。

乗車列車入線、昔の京王帝都に見えるし、隣の2両編成は京急にしか見えない、私鉄車輛には興味薄いので出身不明です。 液晶パネルがなく香川弁中吊り広告の車内には「昔はこうだったんだよ」と思いました。

【金毘羅宮大門】
荷物預けて旅の安全と健康祈念に金毘羅宮参拝へ、Sさんお薦めで階段直登を避け大回り参拝道を選択、それでも休み休み大門着、現在も営業中ならここまで階段籠使ってました。

【500段少し手前のお堂】
7年前訪問では苦もなく登れたのに足腰の衰えは隠せない、でも半分弱の大門でメゲては情けない、付き合わせては申し訳ないSさんに先に行ってもらい体力回復を待って2/3の500段で引き返しました。 参拝その物が目的ではなく、坪尻訪問時間調整だったからです。

【名残の紅葉】
停車列車が少ない坪尻/新改を1日で訪問するのは無理、この日坪尻、旅の最後に新改訪問の日程を組みました。 下山後琴電琴平駅で荷物をピックアップ、早目の昼食後この日午後便でトンボ返りするSさんとJR琴平駅で別れ、11:56発下り各駅停車で坪尻へ向かいます。


坪尻は発着線1本のスイッチバック駅なので列車交換できず通過各駅停車があり、高松から坪尻に一番早く到着するのがこの列車なのです。

坪尻はトンネルを出てすぐなので、そのトンネル手前に場内信号機があります。 高い方が本線用、低い方が引上線用で、停車するので引上線へ注意進行表示です、腕木式時代は進行表示でした。 本線場内進行は通過可を意味するので本線出発信号機はありません。 

本線から水平な引上線に進入し、ホームのある発着線へ後退するので、引上線先端に発着線出発信号機中継信号機があるハズなのに見当たりません。 ンンンと思ったら単行ワンマン列車運転士が後方へ移動しました。 なるほど、信号目視できれば中継信号機不要です。

で運転士と一緒に移動、出発信号機右停止表示が本線、左注意進行表示が発着線用で、その更に手前で中継信号機が進行表示してました。 目視確認可能なら中継信号機不要ですが、全列車単行運転化後に、引上線先端から移設された様です。 坪尻12:30着です。

秘境駅として有名な場所で、短いホームと簡素な駅舎があるだけです。 降車したのは筆者含め3人、鉄道ファン大学生と取材の新聞記者です。

駅舎出口の眺めはこの通り、商店どころか家1軒ありません。 奥の看板には『マムシ注意』と書いてありました。

こじんまりした木造駅舎です。

掲示されてた時刻表、上り4本下り3本の1日わずか7本です。

駅前に通じるのは細い山道だけ、集落まで15分です。 大学生は徒歩20分の山道を登った県道から坪尻を見下ろせる展望台に向かいましたが、とても無理と筆者は諦めました。

スイッチバックポイントは本線直進両渡線が標準仕様ですが、坪尻は究極の簡素型でポイント2個のみです、他に類例あるかどうか知りません。 信号機/ポイント遠隔操作になる前の国鉄時代には数人の駅員が常駐してたハズであり、通勤どうしてた?と思わされます。

坪尻滞在時間は1時間22分、その間に上下特急各1本が通過します。 2008年9月の大歩危⇒高松間乗車時はキハ181系後継気動車でした。 車両使い捨てのJR、あれから14年経ちトンネルから飛び出してきた高知行下り特急『南風』、3両編成は新型車でした。

下り特急通過の10分後岡山行上り特急『南風』通過、琴平-阿波池田間特急通過なので、どちらか一方が運転停車して列車交換した様です。

琴平発阿波池田行で坪尻着、折返し多度津行に乗車、往復共に指導運転士添乗の女性運転士でした。 坪尻発車の為に運転席移動の状態です。

発着線本線合流部に出発信号機が設置されてます。 下り列車の場合は発着線から本線へ、上り列車の場合は発着線から引上線へポイント開通と異なります。 ここも中継信号機が移設され、引上線進行表示してます。

引上線に進入停止後、運転士・指導運転士・筆者の3人が前方へ移動、本線出発信号機進行表示、発着線出発信号機とそれを中継する中継信号機は停止表示です。 何故不要な中継信号機を残してるのか不明ですが、現地で教科書通りの信号機設備を確認できました。

高松駅みどりの窓口で購入したこの日使った乗車券・特急券です。 坪尻発13:52で多度津着14:46。 松山行特急待ち時間に仕事がありました。

多度津駅前に静態保存されてる8620です、C58と同じく静態保存8620見るのは初めてです。 保存機58685は元小松島機関区在籍で、デフ付きが少々残念だけど、本線本務機だった証かもしれません。

100年前に製造され廃車から50年経過してこれだけキャブ内が保存されてるのは驚くべき事です。 圧力計等はありません、赤色/白色塗装もない方が良いと思うのは我儘ですね。

多度津でもう一つ見たかったのが嵩上げホームの痕跡、この日同行してくれたSさんが以前画像提供してくれてましたが解像度不足、9-10両有効長ホーム先端1.5両分が昔のままの低いホームです。 多度津発15:23で宿泊地松山着17:23のキッカリ2時間でした。


夜は一人の予定でしたが、高松のCさん同期生で筆者も以前東京で一度お目に掛かった松山在住のWさんがご一緒してくださり、アラ古稀爺さん二人の夕食を楽しみました。


ではまた。

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