Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

地区御柱祭準備

コロナ新規感染者数が半月続け前週同曜日を下回った9月中旬から、日曜日には必ず昼過ぎに花火が上がります。 各部落にある諏訪大社分社格小宮の御柱祭が開催されてるのです。 9月中旬は県警戒レベル5で上から2番目、春先なら会議もできませんでしたが、コロナ疲れか慣れなのか、密状態のお祭り開催です。 10月4日ようやくレベル3に下がりました。

【30年前建立された部落の小宮】
筆者部落では8月末に地区夏祭と小宮祭同時開催で準備を進めてましたが、盆休み前の毎日千人超える感染者と他県入り込み客影響が見通せず、夏祭は中止、小宮祭は延期になりました。 感染者減少傾向が見えた9月中旬に10月9日開催を決め、準備を再開しました。

【2016年に建て替えた小宮御柱】
御柱祭には長い準備作業があります、コロナ影響で今回は簡略化です。
➊綱打ち
御柱曳行用綱を荒縄から綯う作業で5月頃行ってましたが、最低50人必要な作業で人が集まれず、今回は既製品ロープ使用を早々と決めました。
➋用材手配
地区御柱は毎回前回より少し立派にを繰り返し、前回建立は直径35cmに大型化してたのを今回は曳行人数が少ない小型化して手配しました。
➌木造り
用材の皮を剥き、曳行柱には綱やメドと呼ばれるV字型角を取り付ける穴空け作業です。 準備だけ進める為に8月に氏子有志で行いました。
➍御柱休め
6年間神域を守ってきた御柱を引き抜き、新しい御柱を建てる準備作業です、10月1日/2日に実施しましたのでその様子を紹介します。

【一の柱休め】
9時に集合参拝した後作業開始、一番太く長い一の柱からです。 梯子をかけて先端の御幣を外し(神の柱でなくなる)、三方向に支持綱を張って各4-5人が付き小型バックホーで手前斜めに穴を掘り、最後は人力で根固めの土と石を掘り出し手前に引き倒します。

【一の柱穴準備】
引き抜いた柱は土留に使ったり、チェーンソーで40cmに輪切りにして割り薪に使います。 写真は一の柱を抜いた跡を、新しい柱を手前から入れ徐々に牽き建てる準備作業です。

【四の柱休め-1】
一の柱穴準備作業終了後、その奥にある一番短い四の柱の御柱休めです、御幣を外し支持用綱の取付作業中です。 一の柱から時計回りに二三四、各柱は尺五寸(45cm)ずつ低いのが定法で、三四の太さは同じです。

【四の柱休め-2】
一の柱と同じ手順です、下手をすると怪我する作業なので責任者の指示で緊迫した雰囲気です。 ピンクアンダーシャツの若者は後方人数不足の指示で後ろの綱へ移動中です。


倒す準備が整うと手前2本で牽き、後ろ1本で支えて45度まで傾いた処で一旦休止、後ろの綱を前方に移動し梃子長の『ヨイテーコショ』の掛け声に呼応し、『ヨイサ』と声と力を合わせ全員で引き抜きます。 ここで午前作業終了し昼食休憩、10月1日は秋晴れでした。

【一と四の御柱休め終了した境内】
午後は御柱保管してる共有地から一の柱を曳行開始する公民館へ、二三四の柱を神社へ車運車で運び、人力で鳥居を潜らせて境内へ運び入れ3時前に作業終了しました。 週間予報から8日予定二三四の建て御柱を翌日に前倒しする事を決め、集合時間8時に変更しました。

【冠落しの神事】
翌10月2日は8時から二三の御柱休め、前日作業で手順呑み込んでるので10時に終了お茶休憩、その後御柱先端を三角錐状に加工する神事冠落しを行いました。 参加者全員が御柱に斧を入れる儀式です。 

【四の柱建て御柱】
昔は全て斧で加工し、諏訪大社御柱祭は伝統を守ってる様ですが、各地区はチェーンソー加工です。 これにも定法があり、三方各120度、先端角度も120度に仕上げます。 墨付け位置は半径の1.73倍、ルート3です。

【四の柱建て御柱】
他地区小宮祭に伴う交通規制渋滞で昼食届くのが予定より遅れましたが早目の昼食、前回例からすると作業は夕方までと思いました。 新四の柱は旧柱より一回り細く長さ2/3、重量は半分弱なので5-6人で運搬可能、責任者判断で人力建立、あっと言う間に建ちました。

【二の柱建て御柱】
三の柱も人力建立、少し太くて長い二の柱は10人で穴まで運び綱を使って建立し3時には作業終了しました。 これで準備が整いましたが、本番の10月9日天気予報が思わしくなくなき気が揉めます、雨天決行です。


ではまた。

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