Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

昭和40年国鉄第3次5ヶ年計画から➋

前回昭和40年当時の国鉄が、将来の電車/気動車計画をどの様に考えてたかのお話をしました。 今回は動力近代化で退場を迫られた蒸機廃車計画についてのお話です。

【昭和40年代イメージの当社風景】


★動力近代化計画
まずは当時の国鉄蒸機在籍状況を確認します。 第3次5ヶ年計画スタートの1年前、昭和39年4月1日現在の在籍蒸機各形式両数を製造年度別にまとめた表で、在籍数3,471両です。 昭和40年年3月末の在籍数が約3,300両なので、1年で170両前後廃車になった計算です。

【鉄道P誌1965年4月号掲載図より編集】
読者が良くご存じの形式で姿を消してたのはC10/C54/E10程度で、数は減ってももまだ21形式が在籍してました。 大正生まれの8620/9600/C51/D50/D60など車齢40年を超える形式も在籍してましたが、蒸機は老朽化し使えなくなったから廃止されたと言うよりは、動力近代化計画で使う気がなくなったから廃止されようとしてました。

【動力近代化計画解説】・・・鉄道P誌1965年4月号より
国鉄第1次5ヶ年計画開始昭和32年の国鉄DLは試作機に等しいDD50程度、非電化区間は貨客共に蒸機の天下で約4,700両が在籍してました。

【ウィキペディアより】
実質的な初の本線用DL DF50の生産開始は昭和32年で、ここが無鉛化スタートとも言え蒸機在籍数減少が加速してます。

【ウィキペディアより】
都市部の操車場では入換用蒸機の煙害対策が必要であり、昭和33年には9600、8620置換を主目的にしたDD13が生産開始されました。

【ウィキペディアより】
D51置換可能高出力の無煙化エースDD51の生産開始は昭和37年で、昭和40年3月末で旅客列車無煙化率は既に80%に達してました。

【ウィキペディアより】
先行したDD13は入換用として問題ありませんでしたが、軸重や出力により汎用性に欠ける欠点がありました。 それを改良したDE10の生産開始は昭和41年で、DD51とタッグを組んで無煙化を強力に推し進めました。


DD51/DE10大量配備で無煙化時期前倒しが可能でしたが、国鉄財政破綻の資金難に加え、電化が進むとDLが余剰になるジレンマがありました。 従ってこの時点で無煙化達成目標時期は設定されてませんでした。

旅客列車無煙化達成と昭和47年3月末蒸機在籍数約1/3が目標てした。 計画通り蒸機が減れば大幅な人員削減で赤字削減できたハズですが、昭和55年まで国鉄職員数は40万人台で変化なしでした。 国鉄労使関係が主要因で、それが民営化の背中を押す結果になりました。

▲▲年度■■形式★★両廃車の具体的計画はありませんでしたが、基本的考え方が示されてました。  ➊は当然として第3次5ヶ年計画には東北・裏日本縦貫・中央・信越・鹿児島・日豊約3,000kmの電化計画が含まれており、それが完成すると幹線しか走れない大型蒸機の出番がなくなります。 使う気がないので車齢が若くても廃車される運命でした。

【D51奥中山の三重連】・・・過去記事より転載
一方で車齢が比較的若く汎用性があるC58/D51が、電化線区から非電化線区へ転用し➊を進める役割を与えられました。 電化計画がないローカル線ではDC/DLで旅客列車無煙化を進め、残る貨物輸送に必要数だけ残して順次廃車を進める計画でした。

昭和47年3月末1,200両予想の内訳は7形式で、理由は明記してませんが9600がまだ50両残る予想になってます。 一方で僚友8620は昭和46年度までにC58への置き換えで姿を消すのはほぼ確実と予想してます。 さてこの予想は当ったでしょうか?、結果を見ます。

手許にある昭和47年3月末機関車配置表から拾って表作成しました、休車扱いを除く全国機関区在籍蒸機です、関東/四国の無煙化完了です。 総数1,200両は予想通りですが、内容が大分異なります。 残存7形式でなく、在籍数1両の3形式除いても15形式残ってました。 

【9600運炭列車】・・・過去記事より転載
室蘭本線運炭D52と急行ニセコC62は解りますが、C55/C61/D60/D61を残した理由が解りません。 当初計画のC58による置換が計画通り進まず、8620と9600残存数が大幅に増えてます。 この2形式は使い易い道具として職人気質の機関士の支持が高く、現場の声重視(組合の意見に逆らえない)で、車齢の若いC58が先に廃車された様です。


★無鉛化のあだ花『SLブーム』
昭和40年からの10年間、消えゆく物への愛惜、空前の『SLブーム』が起きました。 俄か鉄道ファンが蒸機追っかけを始め、ブームに乗った雑誌も発刊されました。

【急行ニセコ】・・・ウィキペディアより
各地でファン同士のトラブルや写真撮影の個人所有地無断立入等マナーの悪さが指摘され、あんな連中と一緒にされてたまるかと苦々しく感じてました。 それも遠い昔の話、昭和は遠くなりにけりですな。


ではまた。

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