Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

昭和40年国鉄第3次5ヶ年計画から➊

昭和40年は国鉄の節目の年でした、前年10月東海道新幹線開業、昭和32年に始まった国鉄近代化5ヶ年計画の第3段階が4月にスタートしてます。 蒸機は昭和21年のピーク5.958両から動力近代化計画で3,300両に減ってましたが、まだEL/DL総数より多数を占めてました。[註]国鉄5ヶ年計画は第1次、第2次共に4年間で次の段階に引き継がれてます。

【昭和40年代イメージの当社風景】
筆者個人も4月に高校進学し、クラブ研究旅行や山行で親と離れて旅に出られる様になった年で、見知らぬ街々を訪ねたこの頃の印象が強烈で、当社の時代設定を昭和40年代に定めてます。 昭和40年代は国鉄現役蒸機(復活蒸機除く)最後の10年間とも重なります。

➊幹線輸送力の増強
飽和してた東海道本線は新幹線開業で一息付いた物の、経済発展と所得増加で人・物の移動が急上昇、輸送力が追い付いてませんでした。 輸送力増強手段にはスピードアップも含まれ、煙害防止を含めた蒸機からEL/DLへの動力近代化計画が含まれてました。
➋通勤輸送力の改善
経済発展と共にサラリーマンが増えて通勤圏も拡大、新宿駅で乗客の背中を押してドアを閉めるアルバイト職員の姿が記録画像で残ってます。
➌運転保安対策の整備
昭和37年三河島事故、翌年鶴見事故と国鉄史上に残る重大事故の背景には過密ダイヤがありました。 また自動車増加により踏切路事故も非常に多く、警報機・遮断器設置と共に都市部では高架化も進みました。

【第3次5か年計画解説】・・・鉄道P誌1965年4月号より
国鉄幹部が第3次5ヶ年計画の5年後へ向けた車両計画を解説してます。 現在も模型化され、つい最近まで活躍した国鉄型車両が、どの様な考え方を基に生まれたのかが良く解る資料的価値もあえりますので紹介します。


★車両の将来計画
この計画では用途別標準化をベースとし、『より良いサービスを提供する車両』『手の掛からない車輛』『より安全な車両』を目標にしてます。


➊電車はどうなるか
用途別、電源別の電車標準化と開発計画です。

【第3次5か年計画解説】・・・鉄道P誌1965年4月号より
両開き4扉ロングシート通勤型は首都圏と関西圏に限定し直流用のみで103系が標準です。 103系は昭和38年から21年の長きに渡り総計3,500両近く生産され大所帯になりました。

【ウィキペディアより】
首都圏では2009年までに姿を消しましたが、関西圏ではつい最近まで現役で活躍し、ラストランがニュースになり、当時の国鉄車輛が丈夫で長持ちだった事を改めて感じました。

【ウィキペディアより】

【ウィキペディアより】
両開き3扉セミクロスシートの近郊型は115系が標準です。 交直両用は東50Hzが403系、西60Hzが423系で展開されました。 開発計画のブランク、交流専用50Hz/60Hzがどうなったかは知りません。 昭和38年から20年間で1,900余両が生産され、現在も現役です。


諏訪へ転居した昭和58年以来、中央本線(東線)普通列車は115系MMT3両か6両の時代が30年続きましたが、E127系に後を譲り退役、現在長野県内では信越本線から第三セクター化された信濃鉄道に在籍してます。

【第3次5か年計画解説】・・・鉄道P誌1965年4月号より
片開き2扉クロスシート急行用は165系が標準で、近郊型と同様に交直両用が展開されてます。 調べれば解る事ですが開発計画の交流専用は計画倒れに終わったのではないでしょうか。 50Hzは仙台起点、60Hzは九州域内急行にしか用途がないからの推測です。

【165系】・・・・ウィキペディアより

【ウィキペディアより】
このシリーズも丈夫で長持ち設計で昭和38年から昭和45年まで生産されましたが、特急格上げで急行の減少と普通列車転用し難い車体構造の為、2003年頃までに廃車されました。

【ウィキペディアより】
151系『こだま』に始まった電車特急は発展形181系が標準になりました。 幹線電化が進んだ昭和40年代後半、ヨン・サン・トウ大改正で増発されたこだま顔特急が北海道と四国を除く全国を走る様になりました。


➋気動車はどうなるか
旅客列車完全無煙化の担い手は気動車です、電車同様用途別標準化です。

【第3次5か年計画解説】・・・鉄道P誌1965年4月号より
首都圏・関西圏には当面電化計画がなく、沿線に通勤圏が広がって混雑緩和が必要な路線がありました。 それらの線区用に国鉄初の通勤型気動車キハ35系が標準になりまいた。

【ウィキペディアより】
昭和36年に生産開始されたキハ35系は首都圏の川越線・八高線、関西圏の関西本線、北九州の運炭路線などが活躍場所でした。 非電化区間なのにロングシートと不細工な外吊り扉で、好きになれない車輛でした。

【ウィキペディアより】

【キハ20系のキハ22】
近郊型より普通列車用がピタリですがココはキハ20系が標準です。 キハ22は蒸機列車が多かった北海道無煙化をDE10と共に成し遂げた極寒地仕様で、デッキ付き小型二重窓仕様です。 客室両端ロングシートを除けばキハ56と同装備で、急行用にも運用されました。

【ウィキペディアより】
しかし他の標準車と異なり昭和32年生産開始と古く、第3次5ヶ年計画で定められた標準車の中で一番早く昭和52年キハ40系に席を譲りました。 この記事作成調査でキハ40系の急行運用事実を始めて知りました。

【第3次5か年計画解説】・・・鉄道P誌1965年4月号より
急行用標準車は昭和36年に生産開始されたキハ58系です。

【ウィキペディアより】
サン・ロク・トウ、ヨン・サン・トウのダイヤ大改正で大増発された地方優等列車の大半を占め、周遊券で利用できる急行列車で大変お世話になりました。 急行の特急格上げで晩年は普通列車用として運用されました。

【キハ81系】・・・ウィキペディアより
[2022.07.24追記]頂戴したコメントで一部修正しました。
初のディーゼル特急『はつかり』として登場したキハ81系は気負い過ぎたデザインが不評、故障や運休も多く、国鉄技術力を疑問視される評判の芳しくない車輛でした。 その欠点はキハ82系で改良されましたが、筆者個人は鉄人28号顔を好きになれませんでした。

【キハ82系】・・・ウィキペディアより
全国特急網を完成させたキハ82系が標準車です。 分割併合可能な運用条件貫通扉を使いながら、これだけスマートで傑出した前面デザインは国鉄車輛の中で際立っており、後継キハ181系にそのまま踏襲されてます。 こだま顔が全国に広がったのに似てますね。


今回は57年前の元気だった国鉄が、将来の車両展開をどう考えてたかの古~いお話でした。 次回はその裏側で消えゆく運命の蒸機廃車をどの様に進めようとしてたかのお話です。


ではまた。

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