Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

道南ぶらり旅-3 廃線遺構と江差の街

渋滞がなく平均速度も高い北海道ですが、函館からの日帰り旅には限度があるので、3泊目は瀬棚町に宿を取り、江差訪問と渡島半島西海岸を北上をすることにしました。

江差南端に旧江差線橋梁が残っていました、廃止後2年なので不思議ではありません。 4連40mほどのデッキガーダー橋で、待てば単行キハ40がやってきそうな風景です。

最後の補修工事は1997年、廃止17年前でした。 海峡線として転用された電化区間は別にして、松前線廃止から良く26年間も江差線が存続したと言えるのかもしれません。

橋梁上だけレールが残っていました、築堤は草が伸び放題で自然に返りつつあります。 夜の道内ニュースで、昨年の高潮被害後不通になったままの日高線について、路盤が浚われ宙釣り線路の映像と共に、地元とJR北海道が協議中と報じていました。 営業係数は1,000円以上、復旧費は38億円とのこと、また一つ北海道の鉄道路線が消えそうです。

旧江差駅に終端駅の情緒や面影はなく、駅舎全開口部を目張りして痕跡を残さない意思があるかの様な荒涼とした雰囲気でした。 「ありがとう江差駅」の看板が侘しさを際立たせていました。 観光旅行ですが、目に止まった江差線遺構を紹介しました。

江差の旧家数ヶ所を訪問し一番印象に残ったのが横山家、現在もここに住む8代目当主のお話はとても興味深いものでした。 間口9m、奥行80m、昭和40年代に国道になる前の撮影地点は海、何十軒も商家が並び荷船が出入していたそうです。 新幹線効果を期待したが、今の処サッパリと笑っていました。 北前船の蝦夷地積み出し港は3ヶ所あった、松前は近いが風除けがない、箱館は良港だが津軽海峡の潮流に難儀する、だから鷗島に守られた江差が一番栄えた、江差は近江商人の現地駐在事務所等々、な~るほどです。

ついでに江差追分会館を訪問し、実演鑑賞を含め2時間ほど滞在しました。 江差追分のルーツが信州追分宿の馬追い唄で、直江津から北前船の湊々を変化しながら伝承したとは知りませんでした。 鷗島の散策路を一巡りしてから、交通量が非常に少ない西海岸を旧道岬巡りをしながら北上し、宿へ向かいました。


ではまた、続きます。

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