Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前のTMS 1967年10月号➋

長野県コロナ感染警戒レベルは始めて1番上の6が発令されました、それに暑くて工作進める気になりません。 苦しい時の時間稼ぎ、同号掲載作品グラフやその他記事の紹介です。

【TMS1967年10月号表紙】


4.作品グラフから
4-1.13mmゲージ2120
作品グラフは2件、最初は2120です。 この明治生まれの古典蒸機は当時人気が高く、TMS誌上に数度製作記が掲載されており、摂津鉄道作者S氏の作品もありました。 国鉄で1961年まで、譲渡先専用線で1970年代まで現役だったので馴染み深かったのでしょう。

作者は初の蒸気製作で鉄道模型社製のエッジング板を利用しています。 始めての蒸機製作とは思えない出来栄えです。

作者も既に発表された先輩方の秀作があると恐縮してますが、TMS編集部に必ず誰かの参考になると背中を押されて執筆したと書かれてます。

【鉄道模型社製2120型エッジング板】
先日紹介したキハ05エッジング板は窓抜き・外形抜き・妻板曲げ加工済で、当時の筆者でも何とか形にできるレベルでしたが、同じエッジング板でも全く別物です。 主要上回りボディパーツのエッジングだけ、ユーザーメリットはリベット打ち済とケガキ不要だけです。

窓抜きしてヤスリ仕上げ、外形切り出してヤスリ仕上げ、曲げ部を曲げて上回り半田付け組立です。 エッジング板単体販売で組立法ガイドもなく、面倒なケガキとリベット付けといたから後は図面確認して曲げ位置など自分で考えて製作してくださいという製品です。

作者も不親切な製品と苦言を呈してます、その代表がボイラーパーツ、完成形では水タンクに隠れる部分を省略したT字型の板取りです。 これでは綺麗に曲げる事ができず、ボール紙と真鍮板を重ねて真鍮板(無駄になる)を一緒に曲げて加工してます。

煙突・ドーム・砂箱・汽笛は全てドリルレースの自作です。 日頃から丸い物をストックする必要性を説かれており、Oゲージ車輪や車軸、大砲の砲身を素材として使ってます。

下回りは完全自作、ボディ主要パーツ以外上回りも自作なので蒸気機関車スタイルブックから図面を起こしてます。 掲載図面縮尺1/150はNを意識しての事でしょうか?

ランボードと前後端部を上回り床板として製作してます、スプラッシャーの存在に明治古典蒸機の雰囲気を感じます。

この2120は発煙装置付きです、摂津鉄道モミ殻焼も同じ原理でニクロム線ヒーターで非電導性高耐熱パイプ(例:碍子)を加熱し機械油を気化させ発煙します。 筆者も16番C58用に製作して装着し、発煙量は十分でしたが発煙時間が短く油が焦げる臭いに閉口しました。


延伸線水田モミ柄焼発煙を計画してますが、大電流で酷い匂いのこの方法は使わず、タバコの煙を風船に吹き込み、ゆっくり排気するバルブを取り付けて実現しようと考えてます。 発煙時間は2-3分だと思いますが写真・動画撮影には十分、メンテが楽なのが魅力です。

シリンダーブロック回りの部品構成、ロッド類は貼り合わせで製作されており、なるほどと参考になる処かただただため息が出るばかり、見ただけで頭が痛くなりました。

イコライジング機構を組み込んだ複雑な駆動系です。 貼り合わせ製作ロッドが厚くなり、13mmでも干渉を避ける為にスライドバーを曲げて逃げるしかなかったと反省されてます。 Nの普及でこの様な車両製作の楽しみがほぼ失われ、趣味の質が変化したと思います。


4-2.古典貨車5題
2件目は『陸蒸気からこだままで』のペン画を担当されたTMS編集部片野氏の作品です。

氏は明治期レイアウト製作を志向するも用地難、将来の夢実現に向けて折を見て車両増備中と書かれてます。 Nなら用地問題解消とはならず、同じ悩みの方は現在も多そうです。

1960年代後半は鉄道模型素材に成形品が使われ始めた時代で、16番では貨車の市販品がありました。 それを種車に改造製作された雰囲気重視の自由形古典貨車5両です。

無蓋車は2軸2両、ボギー1両でいずれも小型です。

最初の2軸無蓋車種車は天賞堂製トラ4000、上図の様に妻板含め高さを詰め、長さも2ヶ所切断して繋ぎ短くしてます。 余分なアオリ戸帯板各1本を彫刻刀で削り落としてます。

天賞堂プラ貨車は完成品の他に車体のみの販売があり、筆者も友人から譲渡を受けたレム(形式?)の車体3両を所有してました。 このトラ4000も車体のみ利用の様で、下回りは改造でなく自作されてます。

もう一方の2軸無蓋車種車はカツミ製トム50000、こちらは完成品です。 プラ製上回りは高さはそのままでアオリ戸各1スパン短縮、ブリキ製下回りも短縮改造してます。

最後の無蓋車はトム50000の車体長さを活かしボギー化してます。

上回りは妻板の凸部切除とアオリ止め(アオリ戸受け)及びブレーキハンドル追加、そして自動連結器導入前古典車両の象徴バッファ(緩衝器)を追加してます。

有蓋車は2両、珍しい3軸車と有蓋緩急車です。

有蓋車種車は天賞堂製ワム50000完成品、斜め補強材を除去し高さを5mm短縮、鋼製ドアは横桟削ってスジ堀りし木製ドア表現してます。

高さを詰めて縦横比バランスが崩れたのを下回り3軸化で補正してます。 3軸貨車が存在したかどうか知りませんが遊び心として面白いです。 中軸は左右動可能にしてあります。

有蓋緩急車種車は天賞堂製ワフ28000完成品、ワム同様斜め補強材を除去し、コチラは長さを7mm短縮し下回りも短縮して合わせてます。

1号機関車に牽かれる古典貨物列車、そんな訳ないのに懐かしさを感じるのはナローの魅力に通じる物があるからの様です。


5.その他
5-1.新製品紹介DD51
鉄道模型社から発売されたDD51が紹介されてます。

異色の特急牽引凸型機でC51/C62牽引特急に愛着がある人には何とも憎らしい存在だろうと書かれてますが、確かに蒸機駆逐の旗手として昭和40年代は憎まれ役の機関車でした。

ベストな重量配分による走行性能の良さと静かな走行音を好評価してます。 一方でエッジングのパイピング表現は無理、燃料タンクとエアタンク一体化は試作機で量産仕様と異なるのが残念と苦言もあります。

未塗装組み立てキット¥7,000は結構なお値段です、当時のTMS定期購読料3年3ヶ月分と言えばイメージ掴めるでしょうか、凹凸のあるボディ塗り分けは簡単ではありません。


5-2.京王井の頭線3000系製作記
連載完結編なので設計コンセプトや素材は解りません。

この時代は東急6000系/7000系などステンレス車体車両が(多分)始めて登場し、京王井の頭線3000系は非貫通正面上部が編成毎に色違いになってるのが特徴でした。

作者はディテールにこだわり、パンタ回りを細密に作り込んでます。 そして驚くべきは室内製作、シート・仕切り板だけでなく天井灯や運転室内まで作り込んでます。

この写真でこだわり様が良く解りなすま、駆動方式は当然床下吊り下げ式なのでしょう。 ライト用セレンの収納場所がなく苦慮してた処、天賞堂からシリコンダイオードが発売されて問題解決とあり、1967年にセレンに替わりダイオードが使われ始めたと解りました。

拙ブログ1記事掲載画像数No.1になってしまいましたが、誰かの何かの参考になればと紹介してます。 同号TMS買物帖でマツモト模型製品が1964年からの3年で14%値上げされた話を書きましたが、TMSは¥140から¥180へ29%の値上がりをしてます。


ではまた。

半世紀前のTMS 1967年10月号➊

暑いです、標高900m高冷地でもエアコンのない自室工作は無理ましてや屋根裏はです。

【TMS1967年10月号表紙】
前回の『TMS買物帖』も6月24日公開『機関庫の小アクセサリー』もTMS1967年10月号からの紹介でした。 同号掲載の他記事紹介です。


1.天賞堂モデラーズサロン
天賞堂開催イベント出展作の紹介です。

同じ鉄道模型マニアでもライブスチーマーは一種独特な存在です。 蒸機を蒸気機関で走行させる事が最優先課題なので、実車のスケールやディテールは後回しになります。 昔から別人種だと思ってました。(ライブスチーマーを差別する意思はありません、念の為)

5インチゲージ4-4-2、『フライング・ジロー号』として各地イベントやTV出演も果たした有名機関車で、製作着手から完成まで13年を要してます。 牽引力約1tとありますので、ボギー台車数両に十数人の子供達を乗せて、元気に煙を吐いて走り回った事でしょう。

45mm軌間1番ゲージなので台車に人を乗せて走るのは難しかったかと思いますが、運転士だけ横転しない様に”乗車”し、走行操作しないとライブの楽しさないと思えます・・・。

上写真4-6-2のキャブに圧力計ありますから、やはり乗車運転です。

アルコール燃料の1番ゲージ4-4-2タンクロコ、他の石炭燃料機関車より燃焼効率が良く蒸気圧を得易かったのは解りますが、そこまでライブにこだわる理由は理解できません。

本号発行3年前1964年完成の最新モデルです。 Oゲージが驚きですが、世界最小ライブスチームはマツモト模型創業者松本正二氏のC62がギネス世界記録に登録されてました。。


2.組立式レイアウト『私の国鉄』
表紙を飾ったレイアウト紹介です、作者は根っからの国鉄ファンで『私の国鉄』と命名した16番組立式の大型レイアウトです。

中学生時代に鉄道模型に夢中になり、組立式レイアウトを何度も作っては壊して現在に至ると書かれtます、写真の様子からして30年近いレイアウト歴の結晶なのでしょう。 それにしても縁の丸いブラウン管とガチャガチャ回す機械式チューナーTV、懐かしいですね。

作者の作り壊し経験は様々な部分に出てます。 線路は全て100mmの高架線、1m単位でユニット化し、フィーダー/ポイント制御/照明配線は全て高架下のコネクタ接続、10分間で組立運転準備完了できるそうです。

底板のないコの字型ユニットの特徴を活かし、運転終了後は押入に重ねて収納されます。

高架下コネクタ配線なので組立式にあり勝ちな配線だらけにならず、スッキリまとまってます。 キャプションにある様に手前が東京駅、奥が品川電車区、その境界から左にカーブするのが東海道本線です。 エンドレスのないエンドtoエンド線路配置のレイアウトです。

東京駅ホーム風景、細かい部分まで作り込んでます、組立式でもユニット化すれば固定式に引けを取らないストラクチャ製作可能の好例です。

全線高架線勾配なしなのでガード下の商店街を製作してます。 自分の店をレイアウトに設置する遊び心が良いですね。 筆者も写真館ウィンドに家族写真を飾ってます。

東京駅を発車する153系、急行『せっつ』か『よど』でしょうか。 でもほぼ直線域に入った先頭車がこれだけ傾くカントは過大の様です。

品川電車区入口詰所奥にはダミーレールにED14とタンカーを固定配置してます、言わば車両のストラクチャ化で同志向筆者は共感します。

全体は6畳二間サイズで、中間駅名古屋と終端駅大阪/奈良があります。 16番スケールではこれだけのスペース使っても各駅ホーム有効長4両、作者は6両欲しかったと思います。

名古屋駅を発車する新幹線、ホーム上もガード下も作り込まれてます。 終端東京駅なら上野-福島-仙台/山形でも良かった?と思いましたが、新幹線走らすには東海道しかありません。 それに交直両用電車の模型車両がほとんど市販されてない事もあったでしょうね。

 

大阪駅は駅ビル方式ですがホーム上屋もありません、奈良駅は写真掲載もなく名古屋以西は目下建設中なのでしょう。 『レイアウトに完成なし』は昔も今も同じの様ですね。

記事によるとトランジスタコントローラー製作の自信がなくモーター駆動式を採用したそうです。 ノッチオンでモーターでドラムを回し出力電圧上昇、ノッチオフで定速走行、ブレーキでモーター逆転、モーター駆動電圧可変で減速率変化可能だったかもしれません。


最初の写真のTVチューナーとの類似性にク思わずスリとなりました。 昭和50年頃、最初の米国市場向けTVリモコンは、機械式チューナーにモーター付けてガチャガチャとアップダウンしてたからです。


3.581系登場
この当時実車紹介は鉄道P誌と鉄道ファン誌、TMSが新型実車を扱う事は珍しかったのですが、世界初の寝台電車581系となると話は別でした。

著者も『最近マンネリ気味の国鉄電車の中にあって』と書かれてますが、先日紹介した国鉄第3次5ヶ年計画進行中、電車は115系/165系/181系を標準化した、同じ顔の0Hz/60Hz新型車連発中だったので無理もありません、サハネ/モハネの形式名が新鮮でした。

1等座席者も1等寝台もない全2等寝台の思い切った設計です。 従前の2等寝台は昼間使用時6人掛けシートでしたが、寝台向きを90度変更し、昼間使用時はゆったりした4人掛けシートになるのも目新しい点です。

当時の新型電車の標準仕様MMユニットです。 最初の運用は昭和42年10月ダイヤ改正で、大阪-九州間の寝台特急『月光』と昼間座席特急『みどり』と解説されてます。 関東地方の登場は翌年ヨン・サン・トウ大改正後上野-青森間の『ゆうづる』だったと思います。


車輛寸法図が掲載されてます、新型車が出ればすぐ模型が発売される事はなく、一番乗りを目指すモデラーが多数存在してたからと思われます。

貫通扉を持ちながら高運転台の正面は斬新なデザインで、JR化後の351系『スーパーあずさ』に一脈通じる物を感じます。

乗客全てが2等寝台のモノクラスは581系が国鉄初だったのではないでしょうか。


ではまた。

TMS買物帖 国鉄客車

今回はTMS1967年10月号に掲載された国鉄客車の『TMS買物帖』、当時市販されてた16番客車の完成品・車体完成品・車体ペーパーキットが網羅されてます。 どんな客車がどのメーカーから幾らで販売されてたか、タイムスリップ感を味わっていただければ幸いです。

新幹線開業3年目、電化が進み優等列車が次々と電車化・気動車化されてましたが、寝台車併結長距離特急・急行は全て客車列車でした。 鉄道模型マニアは誰しも若い頃への郷愁があり客車需要が高かったと思います、青大将特急『つばめ』がつい10年前の時代です。

とは言え明治の古典客車に郷愁を感じるマニアは居ませんでしたが、トビーは自社製6200型蒸機牽引用に販売してました、かなり高価です。 資料も少なく■■鉄道▲▲型のスケールモデルではありません。 1990年代に家族で明治村へ行った際、園内を走る古典復刻鉄道でこのタイプの客車に乗車しましたが、ジョイント部突き上げ振動が酷い乗り心地でした。

カワイは自社製60型タンクロコ牽引用に販売、貨車が¥300前後でしたからやはり高価です。 カツミは自社製1号機関車用古典客車を販売休止中、再販予定があったそうです。 R300前後カーブの小型レイアウトで実際に使われている写真を見た記憶があります。

古典客車は完成品のみですが、他は様々な形態で販売されており凡例が示されてます、つぼみ堂はブリキ製車体の製品を販売してました。


★マツモト模型
この後京都マツモト模型製ペーパー車体完成品が多数紹介されてます。 創業者であり傑出したモデラーであった松本正二氏の作品です。

大正時代を代表する木造17m級客車群の車体完成品です、解説にある8620が牽く急行列車に似合う編成が可能で、当時50代以上の方には懐かしい客車だったと推定されます。

大正末から昭和初期にかけての特急列車用木造20m級3軸ボギー台車の客車群で、牽引機はC51がはまり役です。 明治末から昭和初期の客車はマツモト模型のみの製品化です。

国鉄初の鋼製客車オハ31系は、KATOが最初のNモデルでC50と共に発売した事でご存じの方が多いと思います。 製品リストにありませんが、実車は寝台車や食堂車も生産されており、急行列車に使われてた様です。

このスハ32系でようやく筆者のカバレージに入ってきます。 展望車だけで3形式、ダブルルーフとシングルルーフがあり形式により台車は2軸と3軸に別れます。 昭和初期はC51、C53、EF53牽引特急・急行でしたが、筆者が知るのは混成旧客列車の一員としてです。

以前拙ブログで紹介しましたが中学修学旅行でマツモト模型スハ32を買いました、1964年9月の事で、当時¥1,300でしたから東京五輪後のインフレで14%値上がりしてます。 現在も販売されており¥18,000、平均物価上昇率より高価なのは手工芸品だからです。


★小高模型
小高模型が多形式の客車・電車・気動車の車体ペーパーキットを発売してました。 安価で比較的簡単に製作できるので人気が高かった製品です。

材質はプレスボードと呼ばれる茶色の硬質紙で、現在のペーパークラフト紙の倍程度、約0.5mm厚の素材でした。 側板・妻板・妻板台紙・デッキ/客室仕切り板とシル・ヘッダー類がセットになってました。 木製屋根・床板で付属の角材で接着する車体構造です。

オハ35系は43系・61系と共に現在『旧客』と呼ばれる国鉄客車の中心的存在で、普通列車にも急行列車にも使われました。 スロハ32は国鉄の考え方を示す車種で、普通列車でも客車列車には1等車併結、5両前後で運転する線区(例:豊肥本線)で使われてた車両です。

オハ61系は木造客車を種車に鋼体化改造した戦後輸送力増強の申し子で、シートピッチを狭くしてオハ35系より座席数を増やしてます。 小高模型のペーパーキットはなく、つぼみ堂・宮沢模型・カワイの3社が製品化してます、廉価なつぼみ堂はブリキ製でした。

スハ43系は急行列車普通座席車として次のナハ10系と共に使われてました。 幹線普通列車に混じる事もありスハ43系なら大当たりでした。 車内設備・乗り心地(台車)で、スハ43系>オハ35系>オハ61系の運用が行われてた様です。 これも3社が製品化してました。

スハ44系は20系登場前の特急専用客車で、片側出入口、進行方向2人掛けシートの客車です、特急『つばめ』『はと』に使用され、展望車含めた進行方向固定で3線回し方向転換が必要でした。 これもオハ61系・スハ43系と同じ3社が製品化してました。

軽量客車と呼称されたナハ10系です、ここでは天賞堂製しか紹介されてません。 確か鉄道模型社も少し安価で出来もそれなりのナハ10系を販売してたと思いますが、この時点では生産休止されてた様です。

天賞堂製品は品質が高いが値段も高いが定評で、他社の2-3割高い価格設定でした。 筆者はオシ17を所有してましたが使う当てもなく、いずれゴミとして捨てられる運命だったので昨年知人に依頼し、マツモト模型スハ43と共にネットオークションで売却しました。

この時代の最新型客車ブルトレ20系です。 解説にある様に20系14形式がカツミ完成品と小高模型ペーパーキットで22種類も販売されてました。 複雑形状のナハフやカニの前面は真鍮プレスの別部品になっており、別車種の倍近く、カニは非常に高価格でした。

カツミの20系客車は良くできたモデルで、KATOがEF70に続いて発売した20系客車が16番とNとの差を歴然とさせてました。 しかし現在のNゲージ24系客車は当時のカツミ16番20系を超えてる様に感じます。


ではまた。