Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前のTMS 1963年12月号②

前回の続きでTMS1963年12月号からです。 57年前なので生まれてない読者も居らっしゃると思います、ちなみに雑誌著作権期間は50年です。

【前号より転載】
前号で天賞堂・カワイ・鉄道模型社のTMS掲載広告を紹介しました。 今回はTMSに掲載されてた当時の鉄道模型各社の広告も見て行きましょう、時代背景が現れて興味深いです。

大手4社積み残しカツミから、TMS表紙見開き天賞堂、裏表紙カツミが指定席で全ページ広告を打ってました。 それはそのまま鉄道模型業界のポジションを表しており、カツミは天賞堂に次ぐN0.2と目されてました。


C51、D51、C62と国鉄大型蒸機をリリースしたカツミ4番バッターが何故C53だったのか?、未だに謎です。 昭和初期に東海道本線を走った馴染みのない3気筒蒸機、多分ビジネス的には大失敗だったと思います。

カツミまでを大手4社と書きましたが比較論で、ニッチの鉄道模型に社会通念上の大手企業は現在まで一度も参入してません、従って以下は零細企業です。 トビーは自由形ばかりのタンクロコで唯一スケールモデル4030を販売してました。 『その後』を調べると予告のC50に続き、C11/C58/8620の16番真鍮モデルを生産販売したとあり驚きました。

当時の小学生が親に買ってもらった入門モデルの一つEF13/15デフォルメEB電機は遠藤製品です。 現在コレに相当するのは機関車トーマス程度、他の入門セットはバリバリスケールモデルの新幹線やD51列車です。

完成品だけでなく車体キット等も多くのメーカーが参入してました。 真鍮製ハンドメイドで成形金型に大きな初期投資が必要なかったからです。 下の日東科学教材も模型メーカーで、入門用DB機(モーター付完成品送料込¥750!)やBタンク機を販売してました。


零細メーカーが多く存在したのは市場規模は小さくとも伸び率が大きかったからで、自動車やバイクと同じです。 前回東京オリンピック前の所得倍増政策好景気の時代でした。

つぼみは小型機関車に特化しており、前出日東科学教材とは別物のDB機、Bタンク/テンダー機を製造販売してました。 左のマルタは大阪で全く馴染みなく、広告見ると輸入モデルの販売業者の様です、懐かしいですねN前最小のTTゲージ、12mm軌間、1/120でした。

宮沢模型のC58は筆者が唯一所有した16番蒸機で思い出があります、完成品で¥5500前後だったと思いますが、現在価格換算4万円弱は高校生筆者には高い買い物でした。

京都が本社のマツモトには縁があります。 中学校修学旅行は関西、小遣い¥1500と決められてました。 マツモトペーパー車体スハ32¥1300、残りで八つ橋と清水焼湯飲み茶碗しか買えなくても大満足でした。

コレも保存してます、名工初代の作品です。 現在は3代目が¥18000で販売中、他の物価上昇率に対して14倍と高いのは手工芸品だからだと思います。 これも走る事なくゴミ箱行きの運命、終活が必要ですね。

先年廃業したシノハラも元気でした。 プラ枕木レールラインナップが充実しており、レイアウト製作用にかなりの量を買い集めましたが、敷設される事なく廃却になりました。

t鉄道模型メーカー日東科学教材と大変紛らわしいのですが、各社鉄道模型販売のニットー教材という会社もありました。 広告コピーに『京都の製品がすぐお手元に!』とあるのはマツモト製品を扱ってたからで、通販ポチッの現在から見ると隔世の感があります。

模型店や販売店でガラスケースに入った16番車両を眺めるのは、鉄道好きの子供にとって至福の時間で、『大人になったら買える様になりたい』と夢を持てる、豊かではなかったけれど幸せな時代だったと思います。


さて広告巡りと思い出話はここまでにして記事本文を見て行きます。

『いつかはTMSに自作車輛工作記を』は車両製作者の夢で、大作・力作で2回連載はあっても機関車1両で3回連載は他に例のない特別扱い、それはこの東武のネルソンが頂点を極めた最高峰の秀作だった証拠です。

どこからどう見ても細密で正確な出来上がりで、只々ため息ついて眺めるだけでした。

不器用は生まれつきで、パイピングや部品製作追加経験はあっても、真鍮製蒸機自作はハナから諦める遠い存在でした。

ペーパー車体箱物製作経験はあり、20系さくら製作記はぐっと身近で、手の届かない場所の話でなく、参考になりました。

16番の良い処は室内製作が十分可能なスケールである事で部品も販売されてました。

この号の新製品紹介は鉄道模型社のEF61、ボディ上回り未塗装と下回り別体のキット販売で¥5500です。 後に塗装済み完成品も発売されたと思うのですが定かでありません。

このEF61が¥6000弱、カツミC62が¥11000でくしくも現在のN電機/蒸機と同価格帯になってました。 つまり当時のオールブラス16番ロコに比較し精密成型金型製のN電機/蒸機が1/7の価格で入手可能なのが現在です。 鉄道模型の大衆化はご同慶の至りです。

この号のカツミ指定席裏表紙は蒸気機関車スタイルブック広告、TMS定価¥140は変っておらず、東京オリンピック後に¥190に値上げされました。 この号には11月号に続き『駅をレイアウトする』が連載されてますが、稿を改めて紹介する予定です。


ではまた。

半世紀前のTMS 1963年12月号①

ネタに困った時のTMS頼りもそろそろネタ切れ、1964年以降6年分は鉄道模型から離れ、分不相応な車維持の為に売却してしまったからです。

表紙は青大将特急つばめ展望車と食堂車車内です。 特急列車は庶民に縁が薄く、ましてや展望車は高根の花、現在の国際線フライトファーストクラスの様な存在でした。

最初に鉄道模型各社の新製品広告を眺めます。 天賞堂は購入者に製品化希望アンケートを実施しており第1位がDD13だったとの事です。 当時特に人気があった訳でもないDD13が1位は不思議ですが、販売中DF50とのセット運用入替機ニーズだったのではと思います。

当時の鉄道模型メーカーで天賞堂は「高品質で高価」が定評の図抜けた存在で、各社から発売されてた10系客車よりデキは良いが価格5割増しでした、7-8倍の貨幣価値換算で客車1両が1万円以上です。 従って筆者急行列車編成で天賞堂製はオシ17だけでした。

【『鉄の履歴書-19』より転載】
他の客車は処分しましたが、バイト代2日分で買った天賞堂オシ17だけは捨てるに忍びなく今でも箱入り保存してます。 筆者が世を去ればゴミとして捨てられる運命ですので車両の終活を考える時期に来てる様です。


カワイの広告は151系発売予告を最初に行いながら発売が最後になったお詫びから始まる面白い内容です。 当時は万世橋に交通博物館があり、10月1日都民の日は入館無料、お茶の水-神田間にはカワイと鉄道模型社があり16番模型を眺めるのを楽しみにしてました。 

その鉄道模型社新製品はC56です。 写真だけ見てKATO8620と比較したらどうでしょうか?、鉄道模型のデキは現在のNの方が上だと思います。 コピーに時代が出てます、当時16番レール半径はインチ規格、12吋は半径305mmで20m車は22吋以上が目安でした。


上記3社に魚籃坂下にあったカツミを加えた4社が鉄道模型大手で、他に宮沢・トビー・遠藤・つぼみ堂・歌川・マツモト等の車両完成品/キット販売メーカーが多数ありました。

実車世界の新型車紹介には東武8000系が載ってます。 この時代は大手私鉄が3扉17m車から4扉20m車移行を加速させた時期に当たり、新世代私鉄車輛第一陣になります。 筆者が利用した東急では余剰となった17m車が地方私鉄へ売却され、最近まで活躍してました。

同じく新型車紹介は南海7001系です。 私鉄車輛4扉20m車化の背景には輸送力増強と乗降時間短縮があり、17m級新型車末期からほとんどが両開きドア化されてました。 関西私鉄に全く縁がなく解りませんが、南海新型4扉20m車の片開きドアには違和感を覚えます。

この号のレイアウト紹介は錦浦鉄道、ブログと言う便利なツールがない当時、レイアウト製作を志す鉄道模型マニアにとって自作レイアウトのTMS掲載は人生の夢でした。 第2次表記で解る通り作者2作目、作って始めて解る不満点の数々は今も昔も変わらない様です。

大きく違うのはレイアウト製作に要するリソース、スタイロフォームに線路敷設し既成ストラクチャ並べて地形作成植物素材撒いて一丁上りとは行きません。 ストラクチャほぼ全て、写真の電柱や腕木式信号機も自作、勾配線路敷設用便利部品も市販されてません。


そして工作力に加え資金力、現在の5倍以上の金食い虫で、経済的余裕がなければレイアウト製作は難しい事業でした。 またTOMIXの様なメーカーは存在せず一通りの電気知識がなければ走行さえできませんでした。

1.1mx2mは16番個人レイアウト標準サイズ、折り畳みエンドレスに駅一ヶ所の比較的単純線形でNならデスクトップで可能です。 信号機は遠方信号機を含めた腕木式フルスペックで作者のこだわりを感じます。 垂直の擁壁はいただけませんが、ポイント用法を含め実物に即し現実感優先の思想が随所に現れ、当社コンセプトとの共通性に親近感があります。

今も昔も変わらないのが用地難、御覧の様に中央の蝶番で二つ折り構造を取ってます、収納時コンパクトさは十分でなくともストラクチャ破損防止・防塵には有利な構造で、Nレイアウトにも有効な方法だと思います。

【レイアウトサロンより】
気になる事があり第1次錦浦鉄道がどの様なレイアウトだったのか『レイアウトサロン』で調べました。 サイズ1.4mx1.9mは第2次より少し大きいだけですが、線路配置が全く違います、複線エンドレスに通過駅と終端駅、ターンテーブルまで備えた高線路密度です。


『新レイアウトは旧レイアウトより線路密度が低い』の筆者仮説が当て嵌ってます。 レイアウト主目的は運転で最初はアレコレ欲張り線路だらけ、一度製作すると風景製作の面白さや整合性の重要さに気付くと考えてます、TMS掲載龍安寺鉄道も当社延伸線も同じです。

作品グラフには筆者の思い出が詰まった車両が掲載されてます、13mmでモデル化された東武モハ3210です。 年一度の母の実家館林までの1時間半は電車好き少年には大旅行、東武伊勢崎線のセミクロスシート化されたモハ3210が旅行気分を満喫させてくれました。

断片的な記憶の3-4歳から祖母が亡くなる小学校卒業まで母に連れられ帰省してました。 東急にないクロスシート・2扉・1段下降窓のモハ3210をボツボツ電車と呼んでました。 リベットを打った電車は昭和20年代末に姿を消し、30年代に他では見ませんでした。

同じく作品グラフには国鉄7000型、明治期に輸入され北海道で活躍した米国製蒸機です。 当時でも超古典蒸機で資料に乏しく、細いボイラーでスケール1/72、キャブ一杯にモーターを収納してます。 スクラッチビルダーの『人が作らない物を』の精神が感じられます。

好評連載陸蒸気からこだままでは当時国鉄の看板列車、EF58牽引20系あさかぜ、153系東海型、初の電車特急こだまで最終回を迎えてます。 『振動と騒音がある電車は長距離優等列車に向かない』の鉄道省技術陣常識を打ち破ったキッカケが80系湘南型、仕上げが151系こだまで、電車王国日本誕生の立役者として151系はエポックメイキングな車両です。 

後に陸蒸気からひかりまでと改題され特集シリーズに加えられましたが、右下エンディングは0系新幹線に差し替えられたのでしょうね。 日本の新幹線が現在欧州に併存する動力集中式(機関車)でなく動力分散式(電車)になったのは、方式優劣でなく車両開発史の必然でした。[続く]


ではまた。

田畑の冬支度 実景とレイアウト風景

稲刈りが終わり農家が一息つける10月下旬には例年JA主催旅行がありましたが、コロナの影響で中止された様です。 冬を間近に控えた11月中旬は、春先の田起こしから田植までと同様に田畑の表情が豊かになります。 11月17日撮影写真でその様子を紹介します。

稲刈り後ワラボッチにして天日干しされた稲わらは全て片付けられ、水田にその姿はありません、天日干し期間は10-20日の様です。

稲わらの多くは肥料として田畑に鋤き込まれますが、様々な細工物原料にもなります、昔ならわら沓や蓑、現在でも正月飾りはその年収穫した稲わらで作ります。 ここは野菜収穫後の畑鋤き込み用に積んであります。

こちらの白菜畑の脇にはうず高く積み上げられてます。 白菜だけでなく野沢菜収穫もこれからであり、大地が凍る来月下旬前までに稲わらを粉砕して鋤き込み来春に備えます。

このブロッコリー畑は収穫後トラクターで株を掘り起こし踏み潰し、この日稲わら粉砕機で粉砕作業中でした、作業後再度トラクターで攪拌整地すれば畑の冬支度完了です。

その冬支度完了したジャガイモ畑はこんな冬姿になります。

セロリ栽培ハウスも鋤き込み完了、トラクター入れないので小型機械使っての作業です。

ここはトウモロコシ仕舞畑の想定ですが、収穫後株と稲わらを敷き込んだ冬支度姿を水田にも撒いた粉砕フィールドグラスで表現してます。

一方このキャベツ畑は収穫したまま、これから稲わら粉砕鋤き込みです。

こちらの蕎麦畑も収穫したままの姿、農家の仕事は山ほどあり定年なし、サラリーマンで良かったと本当に思います。

精米時大量発生する籾ガラはそのままでは冬季ジャガイモ保存する断熱材くらいしか用途がありません、想定時代はリンゴを木箱で送る際の緩衝材に使われてました。 硬く分解せず焼かないと肥料にならないのです。


現在ではホームセンターで売ってるドラム缶に煙突付けた籾ガラ焼き炉使うのが一般的ですが、この日昔ながらの籾ガラ焼きを見ました。 籾ガラに火を付け塚にして煙突を立て半日かけて蒸し焼きにするのです。

従来線笠松信号所近くの仕舞畑には鋤き込み用稲わらを積み、籾ガラ焼きを再現しました、煙突立てると煙出てないと不自然なので脇に倒してあります。 住居から離れた田畑には用具保管小屋があるのが普通で、想定時代は耕運機が普及し軽トラも使われ始めてました。

このブロッコリー畑は整地後長ネギを植え替えてあり、このまま冬を越させます、左奥畑の脇に稲わらが積んであります。 使い切らずそのまま放置も多くあり、時代を問わず農村風景小物に使えると思います。 畑の様々な表情を見てきましたので今度は水田を見ます。

この水田は10年ほど前に登場した超合理化米作り水田です。 最新型コンバインには稲わら一括処理機能がある様で、稲刈り後いきなりこの姿になります。 このまま冬を越し来年は水を入れて田起こし代掻きを同時に行い田植えする手を掛けない米作り水田です。


背景には担い手不足があり、親から田畑を引き継いだからと言って仕事辞め専業農家になるのは難しく、多少収量や食味が落ちても家の財産を守り継承する苦肉の策なのです。

干したワラボッチを粉砕するとこの姿になります、やはり新型コンバインには稲わら粉砕機能付きがあり、それで稲刈りするといきなりこの姿になります。 ワラボッチで干してから粉砕する、先に粉砕してから乾かす、風情は別にして高効率なのは間違いありません。

ワラボッチ水田を多く作るのが当初設計でしたが、撮影ポイントに使えずワラボッチ製作が大変な事もあり、干したワラボッチを粉砕し鋤き込み前の水田を多く製作しました。

同じ農家の水田、手前が鋤き込み作業後after、奥がこれから鋤き込み作業beforeです。

丁度この日が奥の水田の鋤き込み作業日だった様で、小型トラクターが鋤き込みアタッチメント付けてスタンバってました。

ワラボッチはコンバインが脱穀排出したワラ束をまとめて立て掛け組み、水田毎に所有者の性格が出て面白い物です。 やはりここ10年ほどですが、ワラボッチにせず稲わらロールにする例を多く見る様になりました。 現代レイアウト風景小物に使えると思います。

冬支度完了の水田はこんな姿で来年4月中旬まで半年近くを過ごします。

担い手不足に加え自由化で競争力強化と生産性向上が農家に求められており、大規模化と機械化が進んでます。 『農機ローン払う為に働いてる様なモンだ』の声も聞かれます。

水田入口はコンバイン・軽トラ・トラクターが出入りし、柔らかい地面なのでこの様に轍が刻まれそこに雨水が溜まってます。

その様子再現を2ヶ所で試み、ここには水溜りを作りましたが、こげ茶色ベース+グロスポリマーメディウムで成功したとは言えません。

最後に用水路の様子、ここは幹線用水路です。 春先水田に水を張る時期の水量が一番多く10倍以上、9月までは水田水管理や野菜畑へのポンプ汲み上げで5倍程度の水量です。 需要がほとんどなくなったこの時期以降は取入口で絞り最小水量になってます。


ではまた。