Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

延伸線北基台風景設計の見直し

一年の計に延伸線北基台風景製作を掲げましたが、1月も終わるのに寒さを言い訳に何も進展してません、先が思いやられます(汗)

【築堤上のキハ】
工作は難しくとも計画立案はできます。 できる範囲の断熱工事をしたレイアウトルームは建設当時より居住性がかなり改善してます。

【北基台北西ユニット接続部の現状】
完成した北西ユニットは固定可能ですがまだしてません、一度固定したら外すの大変ですし設計変更発生した場合の対応も難しくなるからです。

【従来線東基台点検口】
延伸線北基台建設で非常に困難になる従来線北側トンネル内レールメンテは、一昨年末実施した東基台点検口追加工事で解消してました。

【北基台拡張】
そこで基台は広い方が自由度があると北基台建設時に黄色矢印部拡張したのですが、それが別の課題を生んでしまいました。

【現設計位置仮置き】
拡張分県道トンネル/洞門ユニットを手前に移動しドライブインスペース余裕に充てると、奥の沢から雪崩覆いと洞門を越えて河原に落ちる雪崩通路地形が自然に繋がりそうにないのです。 当社は先に自然があり人工構築物が後からできたコンセプトなので問題です。

【設計修正図】
自然地形設計図面と現状を比較すると、雪崩覆い出口が勾配設計変更で1.5mm低くなっており、雪崩覆いと洞門間距離が倍以上伸びてます。 元設計も高さ方向余裕が少なく地形整合性が崩れるのは当然で、テキトーに地面作って植物生やせば良いという選択はありません。 最低洞門出口高を2mm下げる前提で北基台地形を見直す事になりました。

【修正前標高図】
北基台は西の県道洞門から東の河岸段丘へ向けて川が流れ下り、川沿い県道も次第に標高を下げる地形です。 途中のチェックポイントカーブ鉄橋部の高さ関係設計は上図の通りで、絶対動かせない寸法は赤丸線路標高と鉄橋下県道クリアランス最低寸法だけです。

【修正後標高図】
河岸段丘ユニット完成寸法も確認し、堤防/道路橋を5mm、川面を3mm、鉄橋下県道を2mm下げる変更をします、川面に対する堤防高2mm(0.3m)低いですがヨシとします。

【カーブ鉄橋橋脚高さ】
基台高が▲99mmなので川下流れを緩やかにすれば川面を更に下げられそうに見えますが、Pecoフレキ厚3.6mm加えた鉄橋橋脚底が▲86.5mmになってます。 修正前1.5mm水に浸かってた橋脚足を中洲砂利上1.5mmへの変更で、これ以上は難しそうです。 原案▲85mmだと23mm/3.45m増水で氾濫しますが、風景としてそれが良いかも、製作時判断します。

【東基台北端】
一方堤防/道路橋▲62mmは東基台風景との関係で決まってます。 東基台の台枠は床面上390mm、風景基準▲69mmです、水田になる天板は▲63mm、水田表面材直貼りで▲62mmになります。 水田は道路橋を渡った道より低い位置関係になるのでこれが限界です。 

【北基台西部】・・・黄ヌキ数字県道標高
川上側からです、洞門は傾斜地建設で出入口高さが4mm違います、洞門出口から傾斜を緩め鳥居前まで5mm下ります、更に傾斜を緩め小さな沢に掛かる橋まで2mm下りフラットになります、基台形状と洞門位置変更で窮屈だったドライブイン敷地に余裕ができました。

【北基台東部】
フラット区間は倉元駅分岐までの短区間で、この標高が堤防/道路橋と同じになってます、県道は三叉路から下り勾配で鉄橋を潜り、トンネル入口まで6mm下ります。 道路橋袂崖に堤防面高に作られた土台に張り出して民家Dを建てます、川下に砂防堰堤追加しました。

【従来線峡谷の砂防ダム】
砂防堰堤は従来線峡谷に石積みのダムと言える巨大サイズを製作設置してますが、追加する砂防堰堤は小型で背が低く二つの設置理由があります。

【北基台東端】
河岸段丘は製作部と背景画像が違和感なく繋がりましたが、川面境界面の角度含めた連続性確保は至難の業です。 砂防堰堤は川面境界面を目隠しし風景アクセントになります。

【小さな砂防堰堤】
また砂防堰堤を跨いで支持するカメラ台を製作し、カーブ鉄橋奥からの撮影ポイントを確保します、夕日を浴びてカーブ鉄橋を渡る列車のローアングル写真撮影が目的です。 これで北基台風景の標高が決まりましたので、製作開始条件が整いました、年を取って寒さに弱くなりましたので、気候条件とやる気次第ですが(笑)


ではまた。

緊急事態宣言発令は遅かった?

2度目の緊急事態宣言発令から3週間、感染者数は若干減少傾向にある物の依然予断を許さない状況、特に日々発表される死亡者数が増加しついに5千人を超えたのが気になります。 増加し続けた病床使用率小康状態も日二桁死亡者の影響と皮肉な見方もできます。

【生野駅の夜】
緊急事態宣言発令時期については様々な意見がありますが、経済再建両立とまだ諦めてない東京五輪開催へ向けてのギリギリのタイミングだったと感じてます。 観光立県長野はコロナ禍で大打撃を受け続けてますが、県内の感染者数は他県より少ない状況でした。


しかし年明け以降ほぼ連日二桁の感染者数で、年末1桁だった死者数は1/27時点で29人と3倍増になりました、高齢化が進んでる県だからです。(1/29で32名に増えました)


月初長野・小諸・松本・飯田4市で集団感染が発生し県警戒レベル5へ、長野・小諸が下火になったら白馬村でとモグラ叩きの様相です。 筆者が暮らす諏訪地区は1/11に警戒レベル3から4へ引き上げられ、1/16開催予定どんど焼きは中止、役員のみで正月飾りのお焚き上げに変更、明日1/31開催予定地区総会も史上初の書面持回り審議になりました。
[1/28諏訪地域の県警戒レベルは3に引き下げられました。]

【倉元駅】
発令3週間後の現状を受け2/7の期限は延長される雲行きです。 政府部内で五輪中止言及はタブーになってると思いますが、実質これが最後の賭け、3月には聖火リレー始まりますからね。 それに例え国内感染抑え込めても世界の感染状況見ると五輪開催は別の話、結局はワクチン有効性と接種進捗状況次第になると思われ、90%以上中止になると見てます。


そしてその後に来るのが大不況、これだけ経済指標が悪化し失業者が増えてるのに現在の株高は解せません。 何かのキッカケ、五輪中止や米新政権の経済政策変更などにより大暴落『ブラックXX』が起きるのではないかと。 高みの見物できる年金生活者の戯言です。


例年より寒いの長期予報で始まった今シーズン、今月中旬の冷え込みで蓼科では滝が凍る氷瀑が出現してます、例年温泉とセットの観光客で賑わいますが今年はダメな様です。1/13に3年振りに全面結氷した諏訪湖は御神渡出現する事なく溶けました、今週末の寒波期待です が、氷点下二桁連続3-4日が必要条件なので、こちらも90%以上ないと見てます。


★こんな事もあら~な

【1/29 18:00マイページ】
昨日帰宅してマイページ覗くとアララ、中2日谷間でも拙ブログ応援団や遅れて読んでくれる読者のお陰で、普通INポイント30前後入ってるのにこの日はゼロ、チョッと記憶にない出来事でした、こんな事もあら~なです、その声聞こえたのかその後入りましたけどね(笑)


地元ネタ雑文で失礼しました。 来週には立春、暦の上の春を迎えます。


ではまた。

TMS特集 楽しい鉄道模型⑤最終回

2-3回予定でしたが読み返した結果5回シリーズになってしまいました。

最終回は車両製作記と参考情報、最後にペン画集の特別増刊号です。


★車両製作(cont.)
⑤客車ペーパーキットの組立
当時市販されてた16番車両は真鍮等の金属製が大半を占めてましたが、自作車輛となると蒸機を除き木と紙が主要材料でした。

小高模型から硬質紙窓抜き加工済の各種客車車体ペーパーキットが販売されており、筆者もオハ35系を数両製作しました。

天賞堂オシ17、鉄道模型社スロ44とナハ10を2両所有しており、急行編成完成に荷物車と緩急普通車が必要だったからです、オハ35系は急行編成組入可能な万能形式で重宝でした。

キットは車体のみで台車/車輪/カプラー/床下機器は含まれてませんし、塗装も自分でやる必要があります、車体キットは確か¥120ほど、材料合計¥500-¥600でした。

そう言えば小高模型車体キット箱が部品箱にあったハズと探すと出てきました。 箱に貼られた形式/価格シールはインク変質で読めませんでしたが箱の印刷はハッキリ読めます。

客車だけでなく電車や気動車まで、ナハフ20やキハ82の立体造形をどんな形でペーパー車体で再現してたのでしょうか?、不思議です。

半世紀振りに開いたタイムカプセル中身はコレ、ペーパー車体キット余材入れになってました。 角材は天井壁接着と床板嵌め込み部補強用、床板3枚中1枚はM車モーター逃げ付きで、1番下はR付き屋根板です。
⑥ただいま電車製造中
自作ペーパー車体模型製作法の解説です、この記事参考に製作予定レイアウトR450通過可能な16m級ナハ10タイプ客車車体を5両製作しました。

河内電鉄の命名が示す通り関西在住の製作者で、TMS誌上に製作記を発表されてました。

模型世界の右も左も解らない初心者高校生の模型製作挑戦には非常に有用な情報でした。

筆者には馴染みのない近鉄車両ですが長距離路線関西の雄、関東の東武と同系列2扉車に共通項が見られます。 調べれば解る事ですがセミクロスシートだったかもしれませんね。


★その他
①石炭搭載法

現在のN蒸機は購入状態で搭載済みですから不要かもしれませんが、当時は購入後ユーザーが自分で搭載してました。

その際参考になる情報源はTMSしかありませんでした。 筆者も宮沢C58テンダーに素材忘れましたが黒ラッカーで石炭搭載した覚えがあります。

E/FがNG例示、Aが一般形、B/Cが給炭直後の姿、Dが給炭後使い込まれた姿と解説されてます、現代Nでも同型機多数在籍の場合の差別化要素に使えそうです、当社は不要ですが。
②ナンバープレート
蒸機を自作する人に取ってナンバープレートは悩みの種だった様です。

写真使ったナンバープレート製作法が紹介されてます、記事によると当時も受注生産エッジング品があった様ですが相当高価だったと思います。

描画ソフトどころかPCもない時代ですから、ボール紙から数字を切り出し、数倍サイズの原画を銀塩フィルム写真撮影して製作する方法です。 原画製作はパワーポイント、写真は1200万画素デジタルですが、原理は全く同じ技法を当社も使ってます。

職場の高性能機で縮小コピーできる人は良いですが、家庭用プリンターでは解像度低くて全くダメ、パワーポイント作成原画を撮影し写真プリントでシール製作してます、この民家の表札と屋号看板もその技法です。

一番小さいシールは0.8mm幅の駅名標、今じゃシール製作できても真っ直ぐ貼る視力がありません、年は取りたくない物ですね(泣)


★エッセイ『安楽マニアもまた楽し』
巻末にTMS146号掲載エッセイが収録されてます。 ペン画タッチと執筆者名から解る通り『陸蒸気からこだままで』の作者です。 筆者所有最古153号は連載開始前ですので、このエッセイから企画された様です。

冒頭には『買って来るぞと気負いたち誓って街へ出たけれど、ついついフラリとビアホール一ぱい二はいが又三ばい、到頭台車は又来月』と安楽マニア化した我身を嘆いてます。

この述懐読むと趣味と家族、特に嫁さんとの関係は半世紀を経て何一つ変わってないと思うのですが如何でしょうか? 著者製作計画をペン画にされてます、『陸蒸気からこだままで』番外編としてお楽しみください。

最初に製作したい車両として大正時代中期の優等列車を挙げておられます。 英国調4-6-0 3軸テンダー蒸機に16m級木造ダブルルーフ客車6両の1編成です。 当時の車両として必要不可欠なディテール緩衝器に運転を邪魔しない良い部品発売が待たれると書かれてます。 

最後尾は展望車、その前は1/2等合造車で1等はコンパートメント、両端にボーイ控室がある凝り様です。 ペン画は設計図、窓配置は室内構造設計を反映してます。

電車の製作計画は荷電から始まります、設計完了しても駆動系収容目途が立ってません。

2番目はデ1型を近代化した京急スタイル、氏は『最近の京急が旧京急スタイルの伝統をかなぐり捨て新たな京急スタイルを形成しつつありますが、マニア気質は保守的な物、私としては矢張り浅い屋根、大きな窓の昔を忘れる事ができません』とコメントされてます。

3番手は東武スタイル合造車、荷室側非貫通、客室側貫通と両側で表情が異なります、編成先頭でも1-2両の貨車を牽かせてトコトコ走らせても似合うと書かれてます。

4番手は満鉄モデル模型鉄道用に設計した電車だそうで、筆者カバレージを越えてます。

電車の最後は貴賓車、社長が賓客を迎え優雅に沿線案内する際に使用する専用車が想定の様で、何とも楽しい空想の世界です。

貨物編成は個性豊か、『険しい山々、そこを縫って流れる鉄分を含んだ赤い氷の河に架かるティンバートレッスルの橋、深い谷間に並ぶ酒蔵、鉱山の櫓、そしてそこにはドラフトのこだまが喘いでいる・・・』と創り出したい風景世界、シナリオ描写が記されtます。

『私の遊び』と注記されてますが良いですね味があって。 以上長々と紹介しましたが、鉄道模型界の変わった物、変わらない物について色々考えさせられました。[本項完]


ではまた。