Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

給水塔 塗装と部品製作➋

給水塔の製作が続きます、物が次第に形になってくる工作は楽しいです。

【生野駅給水塔】
KATO製給水塔脇にポンプ小屋があります、中に揚水ポンプがあり、点検の為に人の出入り可能な小さな建屋です。 給水管は表現されておらず、タンク基台/タンク内を通り天井付近でタンクに注水する構造想定の様です。 では、ポンプ小屋脇の小さい建屋は何?

ポンプ小屋内の圧を掛けて給水タンク上部まで送水する揚水ポンプと別に設置された、地下水汲み上げポンプのカバーで、点検保守は片屋根跳ね上げ式と推定しました。 つまり二つのポンプが役割分担してる訳で、プロトタイプが有るのでしょうが一つでも可能です。

倉元駐泊所給水塔のポンプ施設設置スペースは土台右上、建屋は最大15x20mmで人が出入り可能サイズではありません。 ここは水道が引いてあり、それを加圧しタンクに注水する小型揚水ポンプカバーにします。 設定に無理がなく、窓も扉も不要になるからです。


◆給水管
先行した送水管はφ2.9mm、給水口はφ2.4mm、短時間で給水するのに相応しい太さです。 一方給水管は常時稼働可能で、9m近い高さまで揚水するのでポンプパワーに見合った細い管しか使えません。 1mmプラ丸棒と0.8mm真鍮線で迷い真鍮線採用に決めました。

真っ直ぐな送水管に対し給水管はタンクから地上へそしてポンプへとクランク状に配管されてます。 曲り角にはエルボーと呼ばれるL字状の継手があり、その素材を探しました。 0.8mm給水管なので継手は理想的に1.4mm、オーバーサイズ許容して1.8mmが限界です。

選んだのがこの細いランナー、銀色で何の部品だったのか不明です。 サイズはφ2.1mm、限界値1.8mmより太いですが、切断面に給水管用0.9mm穴を空けて削る事にしました。

ランナー全体です、コーナーはRが大きく使えません、上下6ヶ所のゲートには湯口突起があり加工が面倒、3時/9時方向T字部加工が一番楽そうです。 バリ取りはこの状態で、穴開けは垂直方向から大きいサイズで、削り込みも大きいサイズでと工程設計が難しいです。

➊9時方向T字部を後で削るのでラフにバリ取りしました。
➋全体から9時方向をカット、ここからタンク側エルボーを作ります。
➌削ったら成形剤は白でした。 気長に削って径1.8mmにしました、塗装後ノギス側をカットしてタンク2mm穴に差し込み接着します。
➍給水管が付く側に0.9mm穴を空けました、一発勝負で緊張しましたがまず合格です。

【過去記事より転載】
給水管にもう一つ問題がある事が解りました。 タンク容量を最大に使うには給水管を可能な限りタンク上部に取り付ける必要があります。 原設計給水管位置は3時方向でした。

ところが3時方向ではタンク土台がを逃げタンクから離れた位置の配管になります。 するとエルボーの屋根干渉を避けるには給水管位置を下げるしかありません。 この問題を解決する為に給水管位置を4時方向に変更してタンクに近い位置に配管します。 なお同じ理屈でタンク点検口/梯子位置を9時から7時半と書きましたが8時の誤りでした、訂正します。


さて給水管地上側エルボーをどうするかですが、2mmプラ角棒の手抜き案もありますが造形的に面白くありません、再びジャンク箱をガサゴソ。

➊3.8mm親ランナーから2.5mm子ランナーが分岐し湯口のある部分から加工します。
➋分岐先先端部を切断し子ランナー面まで平らにしました、土台上に設置する為です。
➌湯口に0.9mm穴を空けました、タンク上部からの給水管がここに嵌ります。
➍子ランナー切断面にも0.9mm穴を空けました、ポンプからの給水管が嵌る場所です。

➊切り落とした子ランナー切断面に0.9mm穴を空け0.8mm真鍮線を固着しました、ポンプカバーで隠れるスペーサーです。 真鍮線はグレーサフ吹いた在庫を流用してます。
➋それを地上継手穴に挿入して固着しました。
➌親ランナー反対側で切断しヤスリ仕上げ、給水管地上継手完成です。
➍タンク側エルボーにも0.8mm真鍮線を固着しました。

部品は揃いましたが塗装前のもう一仕事、給水口バルブ開閉ハンドル取付穴です。 やっちまいました、0.7mm穴が見事に偏心してます。 見えてないのだから始末が悪いです。

幸いこのランナーは点対称で180度位置も同じだったのでまず穴空け、写真拡大してからヤスリ仕上げで作り直しました。

送水管・給水管A・給水管B・給水口の4部品を、弾道の利いた自室でニュートラルグレイを筆塗りしました。 ランナー製作部はOKですが0.8mm真鍮線が上手く塗れません。 

乾燥してから拡大撮影するとこんな具合、地表部はまだしもタンクから地表に至る給水管がこんな凸凹ではみっともなくて使えません。

真鍮線塗装をサンドペーパーで削り落としてやり直しです。

足場と同じTS-66呉海軍工廠色を吹きました、塗料の5%使うかどうかの非効率塗装ですが、許容レベルの仕上がりになりました。


ではまた。

御柱上社山出し祭

[お知らせ]拙ブログ4月4日更新記事を7月2日改訂再発行しました。(背景別途)


本来なら4月2日/3日/4日が山出し祭、担当本宮三なので昨日3日昼前後に木落し、本日4日午後にフィナーレ川越しで、連日休息所設営や昼食準備、参加氏子の送迎手配に忙殺されてるハズでした。 何の変化もない平穏な毎日、でも4月3日地元紙朝刊は御柱祭とコロナで1年遅れた善光寺御開帳一色、ロシアウクライナ侵攻や依然レベル5のコロナは片隅した。

【4月2日一番塚にて】・・・茅野市広報より転載
史上初のトレーラー搬送、2日から3日行程の目的地御柱屋敷まで半日の山出し祭になりました。 出発地八ヶ岳山麓一番塚に安置されてた上社御柱8本の積み込み作業の様子です。

【トレーラー搬送沿道】・・・茅野市広報より転載
トレーラー搬送はゆっくりした速度で行われ、沿道には氏子の他に一般者/観光客も含め多分2度と見られない光景をカメラに収めてました。

【木落し坂近く上川橋】・・・茅野市広報より転載
荷物搬送ではないので、トレーラー通過ギリギリの道を通り木落し坂近くへ迂回してます。 ここでも一時停車し木遣が唄われました。

【木落し坂】・・・筆者撮影
通常実施なら木落し坂を望む付近の家々の屋根上に仮設桟敷席が設置され、柱毎に観客を入れ替え、多くの観光客が奇祭を楽しみます。

【2016年御柱祭記事より転載】
木落し、川越しと並び上社山出し祭のもう一つの見せ場が穴山の大曲です。 センターラインのない街道がクランク状に曲がった場所で、長い柱を如何に綺麗に通過させるかが曳き子と梃子衆の腕の見せ処でした。 毎回1本は民家の軒先を壊す難所で、トレーラー通過不能な道幅なので搬送ルートから外れひっそりした様子が地元紙に紹介されてました。

【2016年御柱祭記事より転載】
御柱街道沿いの部落では結婚式は御柱年を外すと言われてます。 御柱祭に親戚知人を招いてお振舞いの出費が嵩むからです。 御柱祭は街道沿い民家に上がり飲み食い自由と誤った情報が拡散し、それを信じて実行するツアー観光客が居るのは困った事です。

【上川橋での柱の清め】・・・茅野市広報より転載
川越しを行う宮川に掛かる宮川橋の上で、御柱に消防ホースで水を掛けて清めの儀式が行わました、人人人の超蜜状態でした。


『里曳きこそ人力で』の想いは強いですが、県内新規感染者は連日三桁で増加傾向、感染警戒レベルは上から2番目の5のままです。 5月初めの里曳き祭まで1ヶ月を切りました。


ではまた。

異例づくめの御柱祭

寅年と申年、数えで7年目毎は御柱祭開催年です、その歴史は平安時代から千年と言われてます。 その地域伝統行事が今回は異例づくめです。

【木落し坂上】・・・過去記事より転載
前回の御柱祭は平成28年、拙ブログ開設直後でその様子を紹介してます。 開催の前年から準備が始まり、御柱用材を決める『見立て』や『伐採』は昨年参加人数を大幅に絞って実施されましたが、その後の準備がコロナ禍で会合が持てず、ほとんど進みませんでした。

【2016年1月2日早朝本宮】・・・過去記事より転載
筆者は前回/前々回共に正月二日早朝から、どの地区がどの柱を牽くか決める1ヶ月後の抽選式に向け、上社本宮へ祈願に出掛けました。 各部落10-15人、地区で300-400人集まり抽選総代を応援し、地域の団結を深める場でしたが、今回は12月初旬に中止が決定しました。

【伐採され祭本番を待つ上社8本の御柱】
年が明けてからもその後の日程の話が何も出てきません。 2月上旬の抽選式で本宮三の御柱担当と決まりましたが、第6波の先行きが見通せず時間だけがいたずらに過ぎました。

【2016年『山出し祭』の様子】
御柱祭は、八ヶ岳山麓から上社1kmほど手前の御柱屋敷まで長距離を氏子が力を合わせて牽き、途中に木落し坂や川越しがある勇壮な『山出し祭』を4月上旬3日間、御柱屋敷から上社本宮/前宮まで牽いて御柱建立を行う優雅な『里曳き祭』を5月上旬に行う2部構成です。


通常なら曳行担当柱が決まった2月下旬に実施される綱打ちの日程が、第6波蔓延防止等重点措置延長発令で決まりませんでした。 山出し祭実施可否判断ギリギリのタイミング2月末に中止が決定し、8本の御柱は通常と異なるルートで4月2日トレーラー搬送されました。 

【綱打ちの様子】
曳行用綱は御柱から1番・2番・・・と次第に細くなり、『山出し祭』と『里曳き祭』で各地区担当綱が変わります。 従って双方の祭用に太さの違う綱を2本打ちます。 3月21日まで延長された蔓延防止等重点措置後では遅過ぎるので、3月13日に綱打ちが行われました。


2週間前からの検温やワクチン接種歴記録提出など物々しい雰囲気で、当地区参加予定者2人が当日になって濃厚接触者で参加できなくなったり、祭りに係る行事参加は全て氏子の奉仕、終了後に労を労い懇親を深める直会(なおらい)も中止される異例の綱打ちでした。

【使われない山出し祭用綱】
山出し祭が中止されたので山出し用曳行綱は不要ですが打ちました。 氏子の務めを果たし上社へ奉納するのです。 また、各地区世代間で綱打ち技術を伝承する目的もあります。

【当社従来線 御柱の建つ小さな社】
本来なら今頃は今回デビューする18.19若者衆のメド乗り練習等、週末毎に行事が行われる時期です。 3月21日で長野県の蔓延防止等重点措置は解除されましたが連日3桁の新規感染者が発表されてます。 『里曳き祭』は予定通り開催する前提で準備を進めてますが、果たしてどうなる事やら、役員だけで御柱建立となる可能性も高くなりつつあります。 


ではまた。