Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

4月結果分析とアクション

先月2022年4月は拙ブログにとって特異な月でした。 開設後6年4ヶ月になりますが、1年ほど前から月間アクセス減少傾向にありました。 28日間の2月が2万/月割れの危機でしたが何とかクリア、それが小の月とは言え4月18,500弱と完全に2万/月を下回ったのです。

最近7ヶ月の月間アクセスは以上の通りで、1年レンジで見ても2.5万/月前後で推移してました、2万/月を割ったのは恐らく4年振りであり、何が起きたのか気になりました。 拙ブログアクセス減をネタにするのは少々気が引けますが、お付き合いいただければ幸いです。


ブログアクセスは現在/過去更新総和の情報価値を表す指標と考えており、責任は100%管理人に存し、ブログ運営会社やましてや読者に苦情を言う性質の物ではありません。 しかしこれまでにない現象に遭遇すると、分析好きの筆者は『何故?』と確かめたくなります。

これまでは節目の累計アクセス到達に着目し、例えば10万アクセスに何日/何更新の見方をしてきました。 複雑形状物体が切り方により全く別の顔(切口)を見せる様に、視点を変えると見え方も変わるのは良くある事なので、月次アクセスで実績を見直してみました。


☆開設から満2年まで
2万/月割ったのは4年振りは感覚的な物で、いつ2万/月に到達し、いつから2万以上/月を継続してたかも定かではありません、月次アクセス軸で履歴を見直すと興味深い結果でした。

➊解説-半年
レイアウト製作決意は2012年春、設計/ストラクチャ先行製作を経て1年後建設着手、ブログ開設はその2年半後、筆者65歳の時です。 仕事時代の仲間、遊び仲間、定年退職後の地域の仲間は居ても鉄道模型の仲間はゼロ、建設着手前後からレイアウト製作ブログは見てましたが、国鉄時代ローカル線風景にしか興味のない筆者の居場所はなさそうでした。


おっかなびっくりのスタートでしたが記事公開にアクセスの形で反応が返って来る、ポイントが入りランキングが上昇するダイレクト感にハマりました。 最初の1ヶ月で20更新3,500アクセス、どうやったらアクセスが増えるのか?、認知度上げるには手数と考えました。

2ヶ月目から6ヶ月目までで91更新ですから18更新/月の速射砲でした。 ブログ開設前から建設記配信してた仲間の応援、レイアウト製作偏重ポイント配分、風変わりコンセプト認知度も高かったのか、開設6ヶ月目に1万/月の大台に到達しランキング1位に躍り出ました。


➋半年-1年半
半年後からの1年で121K、1万/月ペースの水平飛行です。 ブログネタ探しに苦労した時期で、『鉄の履歴書』や『静態保存蒸機探訪』シリーズ、延伸線ストラクチャ製作で食い繋ぎました、今日に至る『半世紀前の鉄道雑誌』もこの時期苦し紛れに始めたシリーズです。


➌1年半-2年
開設1年半までにブロ友がボチボチでき、それを広げるにはアクセス/ランキング維持が必要と思ってました。 慢性的なネタ不足に苦しんで打った博打が大きな転機になりました。

【1年8ヶ月目更新】
実質的に拙ブログ初の電気関連記事です、数回電気関連記事公開しても反応ゼロだったので、迂闊にも筆者得意電気分野に読者ニーズがあるとそれまで気付いてなかったのです。 実際は難しくて解らないからの無反応で、易しい解説には高い読者ニーズがありました。

【1年8ヶ月目更新】
矢継ぎ早に公開の電気関連記事に、公開5年近くでなお週間アクセスランキングBEST10に留まり続けるこの記事も含まれます。 電気関連記事シリーズ公開でアクセスは急上昇、1年11ヶ月目に1.5万/月を超えました。


☆開設2年から4年まで
電気関連記事でネタ不足地獄を脱した拙ブログ快進撃時期が続きます。

➊2年-2年半
1年11ヶ月目の1.5万/月は通過点に過ぎず、その4ヶ月後2018年3月に2万/月を超え2022年3月まで継続しました。 4月の2万/月割れは実に4年2ヶ月振りで筆者直感は当ってました。


➋2年半-4年
アクセスはその後も増加し、2年11ヶ月目2018年11月に3万/月を超えました1,000/日は驚きでした。 その後も3ヶ月に1回程度3万/月を記録しましたが定着せず2.5万前後/月で推移、4年目後半の電気関連記事はレイアウト制御で難解だった様で少しペースダウンしてます。

その頃視力低下が進んで他に熱中できる趣味を持たないとの危機感から俳句を始め、その時間捻出の為に累計80万アクセスに到達した2019年11月から原則中2日更新へ移行しました。 当然IN/OUTは2/3に減りましたが、PV/ブログアクセスは変化なしの意外な結果でした。


☆開設4年から現在まで
中2日移行後のアクセス減対策として、muragonオーナー村内氏から頂戴した助言コメントに従い、公開記事のテーマ毎リンク集『露太本線ブログINDEX』をリリースしました。

➊4年-5年半
中2日に更新頻度を落としたにも係らずその後1年半で551K、平均3万/月を超えるハイペースでアクセスが伸び、100万を軽く突破しました。 拙ブログ絶頂期の1年半でした。


➋5年半-現在
開設5年半2021年7月頃からアクセス減が形として現れたのに気付いてました、その象徴的出来事が4月の2万/月割れです。

従来の見方10万単位の所要日数/更新数でも1400K以降のアクセス減が明らかです。 2万/月以上に何の意味があるかと問われれば返答に窮しますが、少しでも元に戻したく、原因分析し挽回策を講じたいと思います。

考えられる要因は以上の通りです。 中2日移行後1年強で9件のリンク集をリリースし高値安定アクセスに効果がありました、今年2月の『ブログ記事メンテ』で改訂しましたが賞味期限切れアクセス減があるかもしれません。 影響はわずか主因ではないと考えてます。


中2日移行後の5年目と6年目では年間更新数が10%強違います、いくら過去記事アクセスが多くてもこれはダイレクトに効くので大きな要因です。 また、目標達成の中だるみで低下気味の筆者モチベーションが記事に顕れアクセス減に繋がってる事も十分考えられます。

2月にギリギリ2万/月クリアした時、最近アクセス増ツールとしてリリースされたハッシュタグ機能使ってないと気付き付けまくりましたが、これが要因とは考えられません。 結局は良く解らないのですが当面は以下3点を試行(悪あがき?)する事にしました。


➊月間約12更新の5年目レベルに引き上げる。
更新頻度低下でアクセス減が分析で解ったので少し増やし元に戻します。
➋参加サブカテゴリー追加
『レイアウト製作』90%、『鉄道模型』10%を『レイアウト製作』70%、『鉄道模型Nゲージ』20%、『鉄道模型』10%に変更します。 いつかはレイアウト製作と考える潜在顧客が居るサブカテに新着記事掲載し掘り起こす期待です、ランキングよりアクセス重視です。
➌記事ボリュームにこだわらない。
拙ブログ記事は文字数/画像数共にボリュームが重いので、負荷を増やさず更新数増やすには、1記事ボリュームにこだわらない事にします。 つまり手数で勝負で、今月から実施してます、結果はどうなる事やらです。


ではまた。

Hyper-G Evo➏メイン基板製作 その3

Hyper-G Evoメイン基板が完成に近付いてきました。 昨日、Hyper-G高性能/高機能電源『露太本線ブログINDEX』にHyper-G Evoメイン基板製作法を追加掲載しました。 本記事も追加掲載します。

電源製作意思のない読者は全く興味を持てない内容で、それが不人気の理由と承知してますが、製作意思をお持ちの読者及び将来思い立つ方には重要情報になるのでまとめます。


3-6.基板左端下側の部品実装
高機能電源は速度計用9V電源、高性能電源は速度調整回路の部品実装をするエリアです。

オペアンプIC5番ピンの33kΩには苦い経験があります。 Hyper-G製作サポート(現在は行ってません)依頼を受けたFさんの事例です。 なお左下9V電源部は高性能電源では速度制御VR実装位置になります。

筆者製作基板の矩形波と三角波は以上の特性でしたが、Fさん製作基板は電源側33kΩの実測値32.7kΩ、GND側33kΩの実測値32.2kΩでした、部品許容差±5%以内のわずかな差です。

ところがこの0.5kΩ差で三角波平均値が1V低下し、三角波Lレベルが矩形波Lレベルより低くなってしまいました。

矩形波LレベルはオペアンプIC飽和電圧で決まっており、これを下回った三角波が歪み始めてました、ここを使う常点灯に悪影響を与えるので製作情報を選別使用に変更しました。 ある確率で発生する設計上の問題をFさんに教えていただいた訳で大変感謝してます。

メイン基板2枚製作用に同抵抗値2ペア必要です。 何本計測すれば揃うかと5本取り出して計測した処、非常に差が少なく➊と➍が32.5kΩ。➋と➎が32.7kΩで簡単に揃いました。

➊同抵抗値ペア33kΩ2本と上下連絡GNDジャンパー線を挿しました。
➋抵抗足曲げ半田付けしてGNDラインの容量強化です。

次の9V三端子レギュレータは過去に入出力逆実装のミスを犯してるので再確認します、型番印刷面から見て左側が入力、右側が出力です。

➊三端子レギュレータを正しい向きに、電源ラインジャンパー線2本を挿しました。
➋上下連絡電源ラインと下側電源/GNDラインを容量強化しました。
➌GNDジャンパー線と9V電極、100μFアルミ電解コンデンサを挿します、コンデンサ⊕側のジャンパーを省略し、裏面で接続します。
➍三端子レギュレータGNDラインとアルミ電解コンデンサ⊖側は足曲げし容量強化です。


3-7.パイロットランプ回路の部品実装
Hyper-G Evo メインボード部品実装は基板左端上を残すだけです。

パイロットランプ回路は機能的にラッチ回路近くにあるべきですが、大変込み合っており元位置から移動不能で、ジャンパー線を使います。

➊緑LED電極、33kΩ、2.7kΩ、電源ジャンパー線を挿します。
➋電源ラインは足曲げ半田付け容量強化です。
➌赤LED電極、33kΩ、足加工2.7kΩ、GNDジャンパー線を挿します。
➍半田付け余分カット、パターン半田濡らしで容量強化はありません。

トランジスタ2SC1815を挿し半田付けします、基板反対側の3個とは逆向きです。 足加工2.7kΩ電極に被覆線のジャンパー線を半田付けします。

ジャンパー線は基板反対側の電源入力足加工電極に半田付けします。 ショットキーダイオード足を使い位置決めしました。

Hyper-G Evoメイン基板2枚が完成しました、半田ブリッジショートはないと思いますが、全ヶ所確実な半田付けは自信ありません。 自分で書いたテスター非通電試験から動作確認するのが次のステップです。


◆祭りの後、跡かな?
前回、前々回に紹介した当地の伝統行事御柱祭が無事終了しました。

【5/7御柱里曳き祭曳行露】
5月7日ホームセンターに買物に出掛けると、3日前と4日前に各4本を曳行した街道に痕跡がハッキリと残ってました。 各柱最後尾には掃除係が配置され、曳行後の木屑等を掃き清めますが、10トン近い重量物を引き摺ると道路にこれだけの傷が付くのが避けられません。


ではまた。

御柱里曳き祭終了

[お知らせ]拙ブログ5月5日更新記事を7月2日改訂再発行しました。(背景別途)


5月3日に開幕した諏訪大社上社御柱里曳き祭は3日間好天に恵まれ5月5日の建て御柱で終了しました。 当地区デビューの高校生2人も2日目メドデコに乗れ良かったと思います。

【茅野市広報より転載】
初日5月3日は曳行距離約3倍の本宮一~本宮四の4本が曳行されるだけで前宮4本の柱は2日目5月4日からの出番です。 この日に本宮/前宮8本の柱がそれぞれの神域4隅の建てられる位置まで曳き上げられます。

【茅野市広報より転載】
マスク着用、ツアー客なしでも人人人の波、祭り終了後の感染拡大か心配されましたが結局何も起こりませんでした。

【茅野市広報より転載】
御柱祭は諏訪大社の柱建て替え行事で神道宗教色ゼロとは言えませんが、近年極力宗教色を消し去り、『継承すべき地域の伝統文化』と氏子達も観光資源にしたい行政も考えてます。 地元紙では僧侶がメドデコに乗る姿を神仏習合の証として紹介してますが、確かにそれはあるにしても、記者の表面的捉え方で違和感を覚えます。


本番でメドに乗るには当地区若者の様なデビュー組を除けば、前回御柱祭終了後6年前から毎月開催される地区メド会に出席して仲間として認められ、昨年からの準備作業に皆勤して初めて認められる物であり、御柱祭参加の僧侶は宗派にもよるのでしょうが少数派です。

【茅野市広報より転載】
本宮、前宮共に山際に建ってるので最後は登り坂や階段、ここも人力で牽き上げます、メド梃子を鳥居を避けて通過させるのも業の内です。

【茅野市広報より転載】
神域4隅、一の柱と二の柱は社前面、三の柱と四の柱は裏手山の中です。 本宮東側鳥居横から狭く曲がりくねった急坂を登り裏手に回り込みます。 この難路をメドデコ外さず通過させるのがメド衆/梃子衆の腕の見せ所であり、曳き上げるのが氏子達の心意気なのです。

【茅野市広報より転載】
最終日5月5日が建て御柱、半月ほど前の『御柱休め』で6年前建てた御柱を引き抜き、新しい柱用穴整備がしてあります。 先端を切り落として三角形に整形する冠落しの後、御柱四方から綱で支えながらウィンチでワイヤーを引き垂直になるまでゆっくり建てます。

【茅野市広報より転載】
建て御柱中の柱には大勢の氏子が乗り事故リスクの高いイベントです。 前回2016年は本宮一の柱の後片付け、支持綱を外す作業中にお一方、前々回2010年には下社建て御柱でお二方が落下して亡くなってます

【茅野市広報より転載】
前回御柱紹介記事に対し『好きでやってるんだから死んでも・・・』のコメントがありきました。 当地区デビュー若者の様に最初は格好良いからと『好き』100%でも、2回3回と参加するに従い責任や後進指導が増え、『次世代へ継承するこの地域に住む者の義務』の比重が次第に増えます。 筆者は御柱が好きではありませんが義務感で前回総代を務めました。


筆者は今回御柱で引退させて欲しいと思ってます。 次回は78歳、生きてて体動かせて認知症になってなければ長老・相談役の様な扱いになると思います、有難くはないですがね。 


ではまた。