半世紀前のTMS 1963年9月号後編
前回の続きです。
筆者にとって本号の目玉は何と言ってもコレ、『龍安寺鉄道の発展』です。
【TMS1962年8月号より】
龍安寺鉄道はTMS1962年8月号で発表された2.3mx1.4m、やや大型の個人レイアウトです。 昨年3月27日拙ブログで半世紀前のTMS 1962年8月号 - Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記として紹介してます。 その中で『立体交差もリバースも設けず、風景製作に力点を置いている点が筆者の好みに合いました』と書いた好きなレイアウトです。
取材時にTMS中尾氏から指摘された駅舎と給炭台オーバースケール改修後に、二期工事を着手してます。 作者はこれがレイアウト2作目で3年目、車両を走らす場としてでなく、始めにレイアウトありきでこの道に入ったところは筆者と同じです。
ご覧の通り二期工事延長部はABC3ブロックの分割式で、スペースに対しわずか支線1本と終端駅だけ、本体と比べ格段に線路密度が低くなっています。 Aブロックのみ完成、BCブロックは線路敷設と主要ストラクチャ配置の半完成状態です。
Cブロックは駅主要施設のみ、とは言え、ホーム・上屋・跨線橋・駅舎、何一つ市販品がなく全て自作です。
作者ご本人は『どこでも見受けられる様な平凡な風景を意識した』と書かれています。 延伸線建設中の筆者には、一期工事ではできなかった、あるいは不満だった風景製作を主目的にした二期工事ではなかったかと思えます。
季節設定は稲刈り前の初秋でしょうか、レイアウト素材が揃ってない時代の苦労が偲ばれます。 風景重視派は昔も今もマイノリティ、現在のレイアウト村を見回して旗幟鮮明なのは筆者の他に『kyoshusenさん』『イノッチさん』『ぎっしゃさん』くらいです。
田園風景を見下ろす築堤のAブロックは他の基台より低く、筆者技法と全く同じです。 設計時に記憶が残っていた訳ではありませんが、潜在意識の中に遠い昔のこのレイアウトへの共感があったのかもしれません。
こうしてる時が目指す物が何であれ、レイアウト製作者の至福の時間なのは同じです。
レイアウト製作を夢見て擦り切れるほど読み返した『レイアウトサロン』発売はこの号の直後、東京オリンピックの前年、筆者は中学2年生でした。
【レイアウトサロンより】
その中でもTMS山崎喜陽氏が表紙にもなった新モンカルラインを訪問し、総裁専用列車乗客となってレイアウトを周遊するシナリオの訪問記にはワクワクしました。 ガレージ2階2.7mx5.2mのスペースに建設された複線+単線エンドレス、貨物支線、中央駅と広大なヤード、扇形機関庫に、こんなレイアウト所有者になれたらと夢想しました。
【新モンカルラインを行くより】
当時は途方もない大型個人レイアウト(実際そうだった)と感じましたが、露太本線従来線スペースを16番換算すると3.75mx7.5m(張出し部除く)と2倍の面積があり、50年の時を経て夢が叶ったと思うと感慨深いものがあります。
これまでシェイギヤードロコやハイスラー機を誌上発表してきた自称ゲテモノマニア作者が、これまた超レアなロコを発表してます。 停車駅も急勾配?、平坦だったら機関士はつんのめるし、そもそも水や蒸気供給ができる???
でも趣味ですから楽しければ良いんです。 複雑なメカをどうやって実現するか工夫し、それが意図通り動いた時が最高な気分なんだと思います。
その気分を味わう為には、こんなちっちゃな従輪まで自作するのがマニアの性、これだけは時代や環境が変化しても不変な様です。
目立たない片隅のマツモト模型の広告、ここには他7形式¥1,000とありますが、翌年の関西修学旅行で買った時は¥1,300でした。
【『52年前のマツモト模型スハ32』より転載】
ブログで紹介して2年で車齢54年、間もなくアラカンです。 前号に頂戴したoomoriさんコメントによると篠原ダブルスリップは50年で5倍、現在も特製品販売されてるスハ32は¥18,000、14倍です。 しかも初代松本正二氏作品、プレミア付かないかしら。[完]
ではまた。