Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

保存蒸機を訪ねて⑤木曽谷

「何故蒸機走行歴のない伊那谷3市に静態保存されてるの?」という疑問解消調査を契機に始めた保存蒸機巡り、旅の次途で訪ねたりして合計23両になりました。 現地で見ると保存状態・方法もまちまち、個性豊かで興味が湧いています。 全国制覇の夢などありませんが、折りを見てボツボツと、今回は木曽谷です。

塩尻ICから4/2取材訪問した本山宿を過ぎ19号線を木曽谷へ、分水嶺鳥居峠麓が奈良井宿です。 木曽谷で早く観光開発された馬篭・妻籠ほど有名ではありませんが、電線地中化や景観保護を行い、旧中山道の面影を色濃く留めている宿場町です。

木曽谷1両目は奈良井宿観光駐車場に保存されているC12 199号機です。 デフ付きC12を見た記憶がありませんが、この姿で木曽谷を走っていた様です。

飯山に8年、木曽福島に18年のご当地蒸機です。 上諏訪のC12同様、中央西線電化後も1年ほど入換機として活躍した後に廃車されています。

保存状態は良好に今一歩レベルですが、装飾過多とどうしてもデフに違和感を覚えてしまいます。 動輪径が一回り小さく従台車も異なりますがパッと見はC11です。

2両目は鳥居峠を越えた藪原のD51です。 当初屋根付き保存は諏訪エリアだけの特徴かと思ってましたが、あちこち見ると保存自治体の考え方による様です。

左下は保存蒸機説明看板ではありません。 その右が中山道一里塚の記念石碑、撮影場所が旧中山道、現在は集落内の裏通りにしか見えません。

関東と会津で長く活躍し中津川へは廃車準備で転籍した経歴です。 それでも9ヵ月半で2万4千キロ走行ですから休車でなく木曽谷に汽笛を鳴り響かせていたのは確かです。

キャプに登れます、外回りはバッチリ化粧ですがキャブ内は適度に古び昔の面影を残しています。 総合的な保存状態は良好なレベルです。

メーターやバルブ類の欠損もありません。 長野県内4村が蒸機保存しています、南牧村(野辺山)、白馬村、麻積村(聖高原)は観光資源価値でしょうが、何もない(失礼!)木祖村は?です、木曽谷にも伊那谷と同じ自治体間対抗意識があるのでしょうか。


その後木曽谷を一気に南下し、岐阜県境に近い南木曽町SL公園を目指しました。

SL公園の名前から他の保存蒸機に良くあるパターン、広い公園の一画にと思っていたら辿り着いたのは小高い丘の上の傾斜地でした。 公園らしい施設は何もありません、辰野町の様に分解して山上へ運び上げ、こんな場所に設置したとしたら大変な手間です。

疑問は解けました、ここは1978年5月に中央西線が複線電化されるまでの本線跡、D51 351号機設置後に旧線撤去したと考えると納得できます。

アスベストに関する注記がある保存蒸気は始めてで、逆に履歴説明看板がありません。 351号機の履歴を調べると、1961年まで福井機関区に定着してますが、1965年富山、1969年横手、1972年木曽福島と渡り歩き、木曽谷が最後の職場になった経歴でした。

訪れる人が少ない山の中でも、自ら走った線路上で余生を送るのは幸せかもしれません、何と言っても似合ってます、かつての本線ですから。

木曽谷最後の保存蒸機は機関区のあった木曽福島、D51 775号機の保存場所は機関区跡地だと思われます。 保存状態は良好です。

775号機は生粋の北陸っ子、北陸本線電化が1962年福井、1963年金沢、1964年富山、1965年糸魚川と進む中、1964年まで福井機関区その後糸魚川機関区へ転じています。 南木曽SL公園351号機とは1961年まで福井で同僚でした。 1969年直江津まで全線電化により27年間働いた北陸を追われ、木曽福島で晩年の4年を過ごしました。

展示場所はすぐ脇に交番がある駅前公園、キャブに登れても良いのにね、機関区所在地なのだからサボくらい入れて欲しかったです。

木曽谷の保存蒸機巡りのトリは、50年近い時を経た新旧主役のツーショットです。


ではまた。

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