Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

半世紀前の鉄道P誌 1966年12月号②

先週末少し寒気が緩み、7割方結氷していた諏訪湖が融けた様です。 日曜から再び真冬日、予報では今日まで4日連続し明日から少し緩む様です。


さて、前回は機関庫で憩うD51でしたので、働く姿を紹介します。 当時の日本の物流を支えた国鉄貨物輸送、その立役者がD51でした。

【中央西線】
中央東線より電化が遅れた中央西線は、D51が長く働いた路線です。 信濃川(犀川)と木曽川の分水嶺鳥居峠へ挑む姿です。

【宗谷本線】
こちらは石狩川と天塩川分水嶺塩狩峠越えです。 配置表によると旭川・名寄機関区D51の運転区間は旭川から音威子府となっています。 宗谷本線音威子府以北と天北線は線路規格が低くてD51が入線できず、稚内機関区の9600/8620が担当していた様です。

【奥羽本線 碇ヶ関】
3重連運転が行われていた矢立峠登り口で補機が待機しています、奥羽本線は30/1000の板谷峠を別格にして、矢立峠は国鉄標準急勾配25/1000でした。 山形・秋田県境雄勝峠は20/1000でしたが補機運転が行われており、新庄からの補機が折り返す機関車駐在所が院内にありました。(2016.8.4『東北研究旅行前編』に記載)

【信越本線】
朝陽を浴びて長野から日本海側へ向け力行する重連貨物列車です。

【肥薩線】
矢嶽越えの混合列車、後補機が付いています。 これだけ引いたアングルだと線路の勾配感が伝わってきます。 肥薩線は丙線ですが、乙線用に設計されたD51が運輸大臣の承認を得て走っていました、他に八高線(丙線)の事例があります。

【関西本線】
夕陽を浴びて加太越えに向かう重連小荷物列車です。 この写真の印象は長く筆者の脳裏に焼き付いていました。

【『微かな光の中の蒸機』より転載】
夕陽と朝日の違いはありますが、この写真撮影のモチーフは上記の記憶です。

【東北本線】
有名な奥中山の3重連、この号発売2年後の東北本線全線電化により姿を消しました。

【函館本線】
D51は貨物機の印象が強いですが、多くの線区で旅客列車も牽引する万能機として運用されていました。 もっともこの時代、優等列車は新鋭DD51が牽引し、鈍行列車でしたが筆者も奥羽本線、山陰本線でD51が牽く旧客列車に乗った経験があります。

【磐越西線】
雪晴れの合津盆地を進む列車、背景に淡く磐梯山が写っています。


最後は筆者が幼時の昭和27年当時のD51雄姿です。

【電化前の東海道本線草津付近】
東海道本線の線路規格ならC59辺りかなと思いますが、特甲線旅客列車本務機がD51だったとは驚きです。

【電化前の山手貨物線恵比寿付近】
現在新宿湘南ラインやNEXが疾走する線路です。 ガーデンプレイスの場所にはビール工場があり、この建物風景は記憶に残っています。


ではまた。

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