鉄の履歴書-9 上野から蒸機で初詣
昭和37年末、H君から蒸機が牽く列車で成田へ初詣に行かないかと誘いがあり、1月4日か5日に約束しました。 上野発午前10時前後、我孫子から成田線経由成田行きの客車普通列車、牽引機はC58でした。 第一次SLブーム前で撮り鉄さんもほとんど居ない、初詣シーズンなのに乗客は7割程度、成田なら京成電鉄が通常ルート、2時間近くかけて大回りする物好きは少なく、大半が成田線内乗降客だった様です。
これが蒸機牽引列車の初体験になりました、窓を閉めた季節でも、音、匂い、振動、排煙で存在感と躍動感が伝わってきます。 それまでの蒸機は旧式機関車という見方が一変し強く惹かれました。 本線運転なので常磐線国電駅を通過するのがとても爽快でした。
【ヤード塔がある駅構内風景】・・・H君の餞別
その年の秋にH君は転校しました、『お前レイアウトを作りたいんだろ』と、餞別にHOスケールヤード塔3本をもらいました、メーカー不明、海外製品かもしれません。 それから半世紀放置された後、白熱灯をLEDに換装し、高さを2/3に詰めて、露太本線生野駅に設置されました。 H君は私に熱病を感染させて去った、不思議な友人でした。
《注》確認調査の結果、上野-成田間蒸気牽引列車の運転終了日は昭和44年3月、こんな時期まで都内のターミナル駅に蒸機が乗り入れていたとは知りませんでした。 牽引機は佐倉機関区C57、時々C58とあり、筆者はピンチヒッターの日に当った様です。
ではまた。