Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

鉄の履歴書-2 鉄道旅にワクワク

小学校入学前、昭和29-30年の話です。 月一度あるかないかの「渋谷へお出かけ」は、電車に乗れる貴重な機会でした、わずか6-7分の乗車ですが唸りを上げるモーター音や、渋谷駅ポイントを通過する際の揺れや車輪の不規則音にワクワクしました。 お昼は東横百貨店7階食堂で、日の丸の旗が立ったお子様ランチがお約束でした。

【夕焼け貨物線】・・・ワラ1234は安直過ぎませんかKATOさん。

指折り数えた最大の楽しみは、母の里帰りに連れられて行く館林への一泊旅行でした。 浅草から準急で1時間45分、小学3年の頃には路線全駅名を諳んじるほどでした。 2扉1段下降式窓の茶色い電車、とにかくクロスシートが嬉しくて、西新井を過ぎると続く田園風景や待避線のある駅の佇まいに、幼いなりの旅情を感じていました。


館林駅からボンネットバス、降車停留所前に分校がありました、小さな木造2階建の小中学校一緒の分校です。 そこから母の実家までカマボコ型凸凹道と窪んだだけの側溝、道幅の数倍に茂った竹藪や庭木の景色と共に、何とも言えない香りがして「ボクのいなか」を実感していました。 後年、子供達と隣のトトロを見た際、冒頭の引っ越しシーンの風景に、ああこれだこれだと忘れていた「ボクのいなか」の匂いを嗅いだ気がしました。


館林への帰省旅行は祖母の3回忌、昭和37年まで毎年続きました。 一度だけ昭和29年にその年2度度目になるいつもと違う旅がありました、昼過ぎに出て館林に着いたのは夜でした。 バスは終っていたので輪タクに乗りました、自転車に小型人力車を取り付けた乗り物です。 黙りこくった母と雨の夜の闇に心細かった記憶が残っています、厳格で叱られた記憶しかない祖父が亡くなった日だったと思います。


《注》記事掲載の裏付調査で、乗車したのは当時の東武主力電車デハ5型(モハ3210型)と知りました、一部セミクロスシート化され・・・の記載があり、運転距離が長い日光線・伊勢崎線へ集中投入されていたのかもしれません、編成は4-5両でした。


ではまた。


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