Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

鉄の履歴書-1 記憶にない失踪事件

ブログネタに窮してきたのが本当のところですが、昭和25年2月生まれの筆者が鉄道に惹かれた遠い昔の思い出をシリーズで紹介します。 昭和20年代末から40年代前半までの話です、同世代の方には懐かしい話もあるでしょうし、若い世代の方には物珍しい話があるかもしれません。 埋め草的記事で恐縮ですが、ご興味があればお付き合いください。

【落石止めのあるトンネル出口】・・・本シリーズには新撮スナップを掲載します。

亡母から聞いた話です、記憶は全く残っていません、三歳前後の頃です。 母が目を離したスキに私が居なくなり大騒ぎになったそうです、庭や近所を探してもどこにも居ない、もしやと思い家から500mほど離れた東急東横線祐天寺駅まで探しに行ったら、踏切脇で飽かずに電車を眺めていたそうです。 なぜ、もしやと思ったのかは聞き洩らしました、おそらく私が電車に非常に興味を示していたのを見ていたのでしょう。 最寄りの祐天寺駅まで手を引かれ電車に乗った事が、それまで何度もあったのは間違いありません。


《注》当時の東横線は、今年熊本で退役した青ガエルこと5000系のデビュー前、紺と山吹色ツートンの初代3000系が、3両編成で、渋谷-桜木町を結んでいました。 祐天寺駅は昭和40年代初頭に高架化されましたが、当時は上下ホームを跨線橋が結ぶ平面駅で、渋谷方に警報機遮断機付き、踏切番が常駐する踏切がありました。


ではまた。

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